書評

2016年11月号掲載

いい話なんか書かないぞ

――奥田亜希子『五つ星をつけてよ』

豊崎由美

対象書籍名:『五つ星をつけてよ』
対象著者:奥田亜希子
対象書籍ISBN:978-4-10-101351-0

 小学5年生の時に出会った少年を忘れられないまま大人になり、恋愛感情なしに性的関係だけを結ぶようになった26歳の女性の物語『左目に映る星』で、2013年、第37回すばる文学賞を受賞してデビュー。しかし、わたしが遅ればせながら奥田亜希子という新しい才能に注目できたのは、第2長篇『透明人間は204号室の夢を見る』だった。
 高校在学中に書いた作品で新人賞を受賞したものの、書いても書いてもボツを食らい続け、4年前からとうとう書けなくなってしまった23歳の女性・実緒が主人公。以来、編集者からもらったおこぼれのようなライター仕事と棚卸しのアルバイトで何とか生活しているのだが、ある日、大型書店の棚にたった1冊ささっているデビュー作に、若い男性が手を伸ばしている姿を目撃して、彼女の停滞していた時間が動き始める。男性の後をつけ、住んでいるマンションを特定。そして、〈実現不可能なことは想像すればいい。細部にまで強度のある想像ができれば、それは経験したのと同じこと〉と23年間信じてきた彼女は、透明人間になって彼の家を訪ねる空想に耽るようになるのだ。
 コミュニケーション障害気味で、小中高とついに友人ができなかった実緒。他人を恨むことなく、こんな自分なのだからしかたないという諦念だけを募らせてきた実緒。孤独から心を守るために幼い頃から本ばかり読んできた実緒。そんな実緒が妄想の恋を育んで、創作意欲を取り戻し、掌篇ではあるけれど作品を書き上げられるようになり、それを愛しい男のポストに投函する。行為だけを取り出せば気持ちが悪いとしか言いようがないのだけれど、作中フラッシュバックのように蘇る、実緒のあまりにもつらい過去を知るにつれ、夢中になって短い物語を書きつづる姿に励ましの声をかけずにはいられなくなる。決してうまくはないけれど、一読、忘れがたい強い印象を残す小説だったのだ。
 その後、さまざまな家族のカタチを描いた連作短篇集『ファミリー・レス』を経ての、最新短篇集『五つ星をつけてよ』を読んで瞠目。凄まじくうまくなっているのだ。
 子供の頃から母親を〈大きな光〉と信じ、そのアドバイスに忠実に従ってきて、長じてはインターネットの掲示板の口コミを調べないと買い物ひとつできなくなってしまった女性が、老いて認知症気味になった母親の世話をしてくれているヘルパーに対する世評にまどわされるさまを描いた表題作。自己評価が低いあまりに、3年間ずっと通学を共にしてきた人気者の友人にちゃんと好意が伝えられないでいる女子高生を主人公にした「キャンディ・イン・ポケット」。夫や娘や息子によかれと思うことだけをしてきた、言ってきたつもりの50代女性がしっぺ返しを食らう「ジャムの果て」。大学2年から8年間交際し、うち5年は同棲もしていた元恋人の結婚を知った〈僕〉の心境を描いた「空に根ざして」。わが娘の信頼を失いそうになっている女性が、自身の青臭かった思春期の頃を回想する「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ」。隕石衝突のニュースが世間を騒がせた日を軸に、野球選手の粗暴な夫に浮気をされた元アイドルの妻と、その元アイドルのブログを小バカにするネットの掲示板(ヲチスレ)に書き込みをしては冴えない日々の憂さ晴らしをしている女性、母親の信者と不倫する以外は何もせず、ヲチスレに書き込みをする連中の思考パターンを掴んでは悦に入っている19歳男性のエピソードを交叉させる「君に落ちる彗星」。
 6篇それぞれ、人物造形もストーリーもよく練られた完成度の高い小説になっている。たった3年でここまでの成長を見せる新人作家はそれほど多くはない。ただ、『透明人間は204号室の夢を見る』と比べると、うまくなった分、こなれた分、愛され度が高くなった分、個性やインパクトは弱くなったのではないか――正直いって、読んでいる最中は若干の懸念を覚えていたのだ。ところがっ。
『透明人間――』で、こじれてしまった精神と真剣に向かい合い、実体験だけが人を成長させるのではない、妄想が救いになったり前に進ませてくれることだってあると、切実な筆致で描いた奥田亜希子は、最後のページにちゃんといたのである。単なるいい話なんか書かないぞ。そんな不敵な面構えで、いたのである。いいぞ、奥田亜希子。その調子で、行け。

 (とよざき・ゆみ 書評家)

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