書評・エッセイ

2012年5月号掲載

刊行記念特別寄稿

「卒業」の輪郭――尾崎豊について

尾崎 豊『NOTES 僕を知らない僕 1981-1992』

須藤晃

20年前、突然旅立ってしまった天才アーティストOZAKI。彼が遺した50数冊に上る未発表の創作ノートには、原詩、そして音楽や人生についての考えがびっしりと記されていた。本書の監修者でありOZAKIの“育ての親”が綴る名曲「卒業」の本当の“意味”とは。

対象書籍名:『NOTES 僕を知らない僕 1981-1992』
対象著者:尾崎豊
対象書籍ISBN:978-4-10-332231-3

 ほぼ三十年前、僕はレコード会社にいて、オーディションで優秀アーティストとして選出された尾崎豊の制作担当を言い渡された。以後約十年間、彼の作品を世に出す仕事をし、不慮の死のあと現在に至るまで、遺族からの依頼もあり関連業務の窓口となってきた。簡単にいえば、尾崎豊のことに関しては何から何まで承知していなくてはいけない立場になったのである。毎年四月の命日前後になるとマスコミはこの孤高の夭折したアーティストのことを取り上げる。歴史的な護国寺での葬儀、影響を与えたたくさんのアーティスト、彼らにカバーされる作品群、映画やドラマで彼の生き様を追いかける企画。そして、いまだにコマーシャルや主題歌などでのタイアップの話は数限りなくオファーされ続け、僕個人も彼との想い出や新しい逸話の提供を打診される。そうこうしながら人々の興味は尽きることなく二十年が過ぎた。
 ある日の午後、八十五歳になる母親から携帯電話にメッセージが残されていた。僕は普段から忙しいふりをして呼び出し音を消して、ほとんどの電話に直接出ることがない。滅多にかからない母親からの音信なのにと後悔しつつ、再生すると「おばあちゃんです、じゃなかった、おかあさんです」という声。特別な用事などないのだ。陽気のせいで気分が良かったのか、むかしの夢でも見たのか。二度聞いて携帯を置くと、なぜか尾崎豊の「卒業」を思い出した。「行儀よくまじめなんて くそくらえと思った 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」。そんな歌詞を彼が書いてきた時、自分の心が激しく共鳴したことを思い出した。僕は田舎の優等生で、親を無視することでしか自我を主張できない高校生だったのだ。
 尾崎豊の歌は初めから人生の哀れを感じさせた。どこか金属的な重い成分を含んでいた。命のうずきというか、生きることで産まれる痛みというか、傷口のようにひくひくと動く感じがした。彼はまだ教養も浅く欲望をかかえきった若さで表現の場を与えられて、混じりけのない純粋さとともに、分別のなさや劣等感や迷いや薄っぺらさや下品さや、通常は他人には隠しておきたい心の一面をさらけ出した。闘う自分の恥をさらすように描いた。そこが僕は好きだったし、世の中のティーンエイジャーたちだけでなく、作品に触れた大人たちがひかれた理由だと思う。大人には出来ないことだからだ。人は成長していくにつれ、自分の醜い心の闇を隠すすべを体得したり、諦めたり、処世術を身につけたりするものだ。言っても仕方がないことがあるんだと教えられる。しかし彼はそう思わなかった。というよりも、そうした大人たちを嫌悪していたのかもしれない。
 音楽で心の闇を語ることはむずかしい。元々音楽は耳から繰り返しはいってくるものだし、特にいまの時代ではエンターテインメントの要素が肥大してしまったから、人生観を語るには適してはいないと思う。いまの音楽はもっと軽くて楽しいものだ。しかし尾崎豊は転げ回って傷つく自分を音楽で表現しようとした。人が生きるということがどんなことなのかを音楽で表現しようとした。全身全霊をかたむけて。そこが好かれた。擦り剥けて血がにじんだ膝小僧のように痛々しかったが、それが彼の最大の魅力だった。
「たとえ幾つになっても、十七歳であろうと三十七歳であろうと、六十七歳であろうと、人間の心の中で燃え続ける魂の熱さは変わらない。人は生まれいでた時に『君はひとりぼっちだ』と気づかされたときの精神の孤独から『卒業』することはない」といっているようだった。
 尾崎豊が書いてくる詩の主人公は大人のふりをしたがっている子供で、無免許でバイクを乗り回したり、未成年でありながら酒を飲んで騒いだり、大人びた恋愛を語り、強がって背伸びをしているのに知らないのはあんたたちだけで俺たちは世間の道理もすべてわかっているんだぜというような内容のものが多かった。ただ、僕はその詩の視点がいつも僕自身の目の高さよりも低い感じがして、それが新しく思えた。動物の目の高さだねといったこともある。その言葉が気に入ったのか、彼は街を見る視点をいっそう低くした。具体的には、道にはいつくばった少年を書いた。しかし、そのはいつくばった少年たちは常に飲んだくれていたから、僕は繰り返しいった。街ではいつくばっている人間は酔っぱらいとはかぎらない。深く傷ついて立ち上がれない人もいるし、病んで倒れた人もいるし、転んだ人もいるし、生きる気力をなくして立ち止まった人もいるじゃないか。
 僕の言葉を、彼は黙って聞いていた。
「15の夜」は、最初「無免許の…」というタイトルだった。書き直されてきた詩に、「しゃがんでかたまり 背を向けながら 心のひとつも解りあえない大人達をにらむ」という一節を見つけた。渋谷センター街で集団でヤンキー座りしている少年たちの姿が見えた。せつない少年たちの姿が見えた。それはもう、ただ粋がって酔っぱらってばかりいる不良たちではなかった。
 彼のすべての歌は、自分自身の心にしみ込んだ想いの歌である。この哀愁に人々は心を動かされたのである。「卒業」はプロテスト・ソングではなく、内省的なエレジーだったのだ。実は社会現象にもなったこの曲で尾崎豊は世の中に認知されたのである。そしてそれは、彼が歌うべきものを探して登ってきた山の頂点でもあった。現役の高校生でありながら自己主張の場を持ち、集団の中での孤独に根ざした彼の感性が訴えたかったことは、この曲でひとつの頂点に達したと思った。凄まじい早さだった。そのスピードこそが彼の才能の深さである。
 つまり彼は、子供の目から見た大人たちの孤独を自ら体感したのである。それは誰もが身近な死や別れを体験した時に感じるむなしさややるせなさと同じものであって、言葉で説明しようのない種類の孤独感である。生きていく上で逃れようのない人の寂しさを知り、彼は自分の言葉で名曲「卒業」を書いた。というか、そこにたどり着いたのだ。初期の作品「傷つけた人々へ」で彼が書いた言葉、「使い古しの台詞 また口にしておどける僕は 今度こそは 本当に ひとりぼっちになってしまうよ」に見られるように、ひとりぼっちにならないためにはどうすればいいのか。それこそが彼の命題だった。彼は、その歌の中で、真心で人を思うことで孤独から解放されると説き、「愛という言葉はなくても ひとりで生きてく訳じゃない」と結んだ。そうして彼が気づき始めていた人間の寂しさの構図を、「卒業」でもっとも美しくせつない結晶にしたと思う。この曲こそが尾崎豊の代表曲である。生涯を通じ、彼がギターではなくピアノを弾きながら語るように歌った曲はこの「卒業」だけだった。それだけ特別な作品だったのである。

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 ノートの罫線は鍵盤のようだ。彼はひとりになると、まっさらなノートに向かい、鍵盤を叩き続けた。そして熱くなり冷静にもなり、推敲を重ね自分だけの精神史、青春史、人生を綴り続けたのである。僕は残された彼の創作ノートを整理しながら、ずっとピアノを弾いている彼の姿を思い浮かべていた。ある日の午後の母親の伝言メッセージを聞いたときも、人生のやるせないほどの重さが僕にのしかかってきたのだと思う。母親の人生も、尾崎豊の人生も、そして僕の人生も「卒業」という曲の持つ哀愁の中に塗り込められている。
 このひとりの誠実な少年の裸の言葉は、すべての人の青春の窓ガラスをがたがたと揺らす。そして人は生きている間、自分の人生から「卒業」することができないことを知る。

 (すどう・あきら 音楽プロデューサー・作家)

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