インタビュー
2012年5月号掲載
『あした 慶次郎縁側日記』刊行記念 インタビュー
隣人の悩みを描き続けて
対象書籍名:『あした 慶次郎縁側日記』
対象著者:北原亞以子
対象書籍ISBN:978-4-10-141429-4
――元定町廻り同心の森口慶次郎が江戸庶民の様々な悩みに応える「慶次郎縁側日記」シリーズも十三作目となりました。前作から三年半空きましたが、実はこの間、北原さんは生死の境をさまよう大病を患っていらっしゃいました。
一昨年の六月に、元々患っていた心臓が悲鳴を上げ、倒れてしまったんです。救急車で搬送され、心臓外科の名医に十四時間もの大手術をしてもらいました。たまたまその方が執刀して下さらなかったらどうなったことやら……。でも物書きって生きるか死ぬかの状況でも、どこか面白がっちゃうんでしょうね。手術中に一度は心臓が止まり、術後四日間は意識不明。普通なら臨死体験でお花畑でも見るところを、私が見たのは東京中の病院が新興宗教に乗っ取られる夢(笑)。
退院までに一年を要し、その間に計三回の心肺停止、リハビリ中の転倒による大腿骨骨折を経験して、現在は身体と相談しながら執筆を再開しています。
――よくぞ生還されました。厳しい入院生活中も執筆欲は衰えず、どころか小説の種まで拾っていらしたとか。
「小説新潮」に書いた「慶次郎」の復帰第一作は、大部屋で同室だった女性とその旦那さんの夫婦関係にヒントを得て書きました。やっぱり、どんな時でも心に引っかかったものは逃したくないんですよ。術後は文字が真っ直ぐ書けなくなるので難儀しましたけれど、必死にメモをとったりして。物書きは転んでもタダでは起きませんね。
――そんな大病から復帰して、ご自身の考え方やものの見方に変化はありましたか。
過去に書いた「慶次郎」を読んで「ずいぶん底の浅いことを書いてるな」と思うくらいには成長しましたね(笑)。『あした』のゲラにもずいぶん赤字を入れました。
これまでは慶次郎という男を書く、吉次を書く、お登世さんを書く――ただそれだけだったような気がするんです。慶次郎は、人が転んでいたら立ち上がらせてあげるけど歩くのは自分だよ、という考えの人物なんですが、その「人生、自分の足で歩くものだ」という部分がはっきり書けていなかった。慶次郎自身も傷を抱えて生きる人間ですし、これからはもう一歩踏み込んで書きたいなと。なにせ、毎日「今そこにある死」をちらちら見ているわけですものね。この経験を生かさない手はない。とはいえ理屈が勝ってもつまらないので、あくまでも江戸の風景や人情や憎まれ口を叩きあうご近所付き合いの中に溶かして表現したい。この兼ね合いが難しくて、新しい宿題ですね。今後は慶次郎も悩みつつ、私も悩みつつで進んでいくんじゃないでしょうか。
――このシリーズはまさに慶次郎がスーパーマンではないところに妙味があります。『あした』では、佐七が恋を語ったり、晃之助に昇進話が持ち上がったりといった読みどころを通して脇役の背負う過去も浮び上がる。人間味溢れる登場人物たちを友人のように感じるという声も多く聞かれます。
そう言われるのは本当に嬉しい。おこがましい限りですが、隣人の悩みを拾いたいという気持ちがあって、慶次郎や佐七、晃之助、吉次といった面々もまた悩める隣人なんです。人の悩みって時代が変わっても本質的にはさほど変わらないので、二十一世紀の読者の方にもうけとめてもらえるんですよね。私自身、現代の事件からヒントをもらうことも多くて、当分、題材には事欠きません。
――「慶次郎」は北原さんのライフワークになりますね。
そんなご大層なものじゃありませんが、三回も死ねば開き直った感はあります(笑)。以前は「もっと歴史ものも書きたいし、幕末にも詳しいんだ」って肩肘張るようなところがありましたけど、「あと二、三年の命なら、人情作家と呼ばれたっていいじゃないか。私はこれが得意なんだ。存分に書いて文句あるか」というように腹を据えました。もしも誰かに「北原亞以子は『慶次郎』だけかよ」と言われたら、「悪いかよ」と言い返すぐらいの覚悟はできましたね(笑)。
でも欲がなくなったのとは違うんです。体力が許してくれないだけで、書きたいものはまだまだたくさんありますから。そんなわけで読者の皆さま、今しばらく北原の書くものにお付き合いくださるようお願いいたします。
(きたはら・あいこ 作家)