書評

2012年5月号掲載

ワインと文学の華麗なる饗宴

――鴻巣友季子『熟成する物語たち』

野崎歓

対象書籍名:『熟成する物語たち』
対象著者:鴻巣友季子
対象書籍ISBN:978-4-10-332151-4

 多忙を極めるはずの人なのに、旺盛かつ活発に関心のフィールドを広げていく。そんなあっぱれな例がときおり見受けられるものだが、鴻巣友季子さんはまさにそうした一人に違いない。翻訳家、書評家としての活躍は言を俟たないが、ワインの世界の探究者としての精進ぶりも、どうやら大変なことになっているらしい。本書はその事実を鮮やかに示している。
 コルクは酸素を通すのか否か、何十年もたった白ワインの古酒はどんな味がするのかなど、最新の研究書および自らの経験にもとづく話題が惜しげもなく繰り出される。ご本人の投資もさぞかし嵩んでいるのではと推察するが、オークションにも手を出し、パリのコレクターと連絡を取ったりもしておられるご様子。素人には想像のつかない領域に踏み込んでいらっしゃるのである。しかもそうした求道的なまでの探索が同時に、翻訳家として、さらには文芸評論家としての思考と切り離しがたく結びついている点が実にユニークだ。
 ほとんど超人的とさえ思えるエネルギーを、日々、「飲む」と「読む」という二つの営みに注ぎ込みながらも、決して暴飲暴読(?)に陥ることがない。酔眼もうろうどころか、ふしぎなことに著者の目は飲むほどに冴えわたる。ワインについて考えるとそれが文学、小説を考えることにおのずとつながっていく。その逆もまたしかりというわけで、なるほどこういう選ばれた飲み手にとっては、ワインには知力を活性化させ、言葉を豊かにする効能があるのだと思わされる。次なるボトルの栓が抜かれると同時に、話題の新刊が続々と俎上に載せられ、グローバリゼーション下のローカル文化の運命や、本と言語の現代的状況をめぐって議論が重ねられていく。へべれけになってくだを巻くおじさんのだらしなさとはまことに対照的な、颯爽たる飲みっぷり、語りっぷりである。
 その凜とした姿勢を支えるのは、著者のこころざしの高さだ。「ぶどうの雫は言葉と接して初めて、その最上の快楽が救いに、そして祈りに変わりうる」。そこまで真剣に向かい合ってこそ、ワインも、文学も、人生を変えるほどの力を及ぼすに至るのだろう。
 とかく「わかりやすさ」を求めがちな世の風潮に異を唱えて、著者はこう述べる。「小説や詩はべつに理解して身につけるべきものではなく、まずはそのなかで過ごすものである」。ワインも同じだろう。だが、たっぷりと堪能してそれでおしまいなのではない。そのなかで過ごすことのめくるめく幸福を知りつくしているからこそ、その体験を何とかして言いあらわし、ほかの人々と共有できるものにしたい。そんなひたむきな思いが本書をつらぬいている。深い考察を含みながら、同時にホスピタリティに富んだ一冊になっているのはそのためだろう。
 何しろ、ワインとは「彼岸への誘い」であるとか、「保存のできる瞬間芸術」であるといった魅力的な表現が随所で滴り落ちてきて、読者は陶然たる気分にさそわれてしまう。かと思えば、村上春樹の小説における翻訳語の用法を吟味し、春樹ワールドは意匠が「洋風」で心は「純和風」という鮮やかな見解がつむぎだされて、これまた感嘆するばかり。ワインと文学の行き来をとおして、豊かな批評的エッセーが熟成されている。
 それにしても、これだけのご活躍に加えて「本職」にまで手がまわるのだろうかと心配になりもするが、最近、鴻巣さんの訳によるクッツェーの新刊『遅い男』を一読して、それが杞憂にすぎなかったことを悟った。ワインと文学の華麗にして知的な饗宴は、これからいよいよ佳境に入っていくに違いない。

 (のざき・かん フランス文学者)

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