書評

2012年5月号掲載

児玉清さんの「遺言」

――児玉清『すべては今日から』

佐伯泰英

対象書籍名:『すべては今日から』
対象著者:児玉清
対象書籍ISBN:978-4-10-449502-3

「佐伯さん、日本では読み物小説とか、俗に言う面白い物語はそれだけで低く見られてしまう傾向があります。でもね、作家は読者に支持されてなんぼ、でしょう。読者はちゃんと面白い小説を見抜いて、支持してくれるんですよ」
 二〇〇六年三月、私は朝日新聞広告欄の対談企画で児玉清さんにお目にかかった。私の「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズの発行部数が累計二百万部に達したことを記念して行われた対談だった。
 実は、私と児玉さんの初対面はその時ではない。かなり時を遡る昭和四十二年頃のことで、当時私は映画の撮影助手の下っ端だった。場所は確か志摩だったと思うが、私が撮影部の部屋でバッテリーの充電をしているところへ、ふらりと入ってきた長身の青年が児玉さんだった。
 会話を交わしたわけでもないのに、妙にその情景が印象に残っている。児玉さんはテレビの連続ドラマのロケに来ていたのだが、俳優が夜、裏方のいる場所に顔を見せるというのは、珍しいことだ。よほど気遣いのできる人なのか、それとも主演クラスの俳優と反りが合わないので暇つぶしに来たのか。そんなことを考えた記憶がある。
 それからおよそ四十年後、再会した児玉さんはあの時の青年俳優とはまったく印象が変わっていた。ロマンスグレーの髪にスマートな語り口調。英国紳士さながらの児玉さんは、すでに俳優という枠を超えて、愛書家としても世に知られる存在になっていた。
 私も児玉さんの書く書評や司会をつとめるブックレビューのテレビ番組は目にしたことがあり、海外ミステリーの愛読者と承知していたので、私の書く時代小説を本気で読んでくれるとは期待していなかった。あくまで仕事の一環として対談を受けてくれたのだろうと思ったのだ。
 ところが、児玉さんは刊行されていたシリーズ十五巻すべてを読んできてくれた上、冒頭の言葉で私を鼓舞してくれた。今にして思えば、児玉さんは対話しながら私を観察していたのだろう。そして、五十代半ばでようやく陽の目を見た作家の、読者に対する自信のなさを見抜いたのだろう。やはり児玉さんは徹頭徹尾、気遣いの人だったのだ。
 あまりにも急な逝去から一年後に出版された遺稿集『すべては今日から』に収められた文章にも、児玉さんの人柄が滲み出ている。旺盛な好奇心と読書欲で読破した幅広いジャンルの本の書評をはじめ、幼い日からの豊かな読書人生を記したエッセイ、さらにはリーダーシップが欠如した昨今の日本を叱咤する強烈なメッセージなど、どの頁の行間からも児玉さんの声が聴こえてくるようだ。
 児玉さんはもちろんプロの文芸評論家ではない。だが、作者が何を意図して作品を書いたのかを的確に理解してくれる、偉大なる本の水先案内人だった。素材、構成、台詞、修辞などの小説の要素を分解して、最も面白い視点を読者に示してくれる。その感覚はおそらく、俳優としてシナリオを読み込み、自らの解釈を加えて演じるという行為を重ねていくうちに身についたものではないかと思う。そして、端正な語り口調で絵が浮かぶように伝えてくれるから、読者は自ずと読書欲が掻き立てられていく。
 本書の中で児玉さんは「本が売れない時代」を憂いて、書店が子供や若者で溢れ返る日を取り戻さなければ、と訴えている。でも、そのために誰よりも必要な人が児玉さんだったのだ。児玉さんの七十七年間が本に囲まれた幸せな愛書家人生であったことはこの本を読んで改めてよくわかったが、これからの活字文化のことを考えると、いくら惜しんでも惜しみ足りない気がする。
 最後にお会いしたのは「新・古着屋総兵衛」というシリーズを発刊した時の対談で、亡くなるわずか半年前のことだった。その時の児玉さんの言葉が、今も時折頭をよぎる。
――時代小説の面白さは市井の風景の中の、細やかな人間の触れ合いや、男女の機微にあることを忘れないで下さい。
 作品についてあれこれ語り合いながら、児玉さんはそんな助言を私の心に投げかけてくれた。児玉さんの最後の気遣いとなったその「遺言」を、決して忘れることはないだろう。

 (さえき・やすひで 作家)

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