書評

2012年6月号掲載

ほんとかな、と思った

――都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』

池澤夏樹

対象書籍名:『21世紀の世界文学30冊を読む』
対象著者:都甲幸治
対象書籍ISBN:978-4-10-332321-1

 最初はほんとかな、と思った。
「新潮」で「生き延びるためのアメリカ文学」というコラムの連載が始まった頃のことだ。
 アメリカでは21世紀になってからどんどんおもしろい小説が書かれているという趣旨で、その実例がずらりと並んでいる。たしかにすごくおもしろそうだ。どの作品もプロットが派手だし、設定が複雑で、社会的かつ人間的にとても深みがあるように見える。それに著者とされる連中の出自もそれぞれに変わっている。
 スタニスワフ・レムにありもしない本の書評を集めた『完全な真空』という作品があったけど、これもあの類の企みじゃないのかとぼくは疑った。つまりこの都甲くんなる才気煥発な人物があり得べきアメリカ文学を捏造して、まことしやかに紹介しているのではないか? だって話がうますぎるから。これじゃまるで本当にアメリカ文学がそのまま世界文学になってしまうみたいだ。
 しかし、二〇一〇年の九月にこの疑惑の仮説は崩壊した。ぼく自身がこの本で『なにかが首のまわりに』の作者として紹介されているチママンダ・ンゴズィ・アディーチェその人に会って話をしたのだ。だから少なくとも彼女は実在する。となると、他の人々も実在することになる。
 都甲リポートによると、今のアメリカ文学はこれまでになく沸騰しているように見える。若い才能が次々に開花して、フィリップ・ロスやトマス・ピンチョンなどの巨匠たちは若い連中以上に新鮮で大胆な作品を世に送り出す。昔、フランス人のクロード=エドモンド・マニーが言った『アメリカ小説時代』という言葉があの頃以上に実現しているように見える。彼女が取り上げたのはヘミングウェイやフォークナー、フィッツジェラルド、ドス・パソスなどだった。あの豊饒の時代は今まで続いていたのか。
 当時のアメリカは拡張期だった。今は国家としては衰退期だろう。国際的な影響力は薄れつつある。そういう時の方が文学はおもしろい。
 それにアメリカは国として開かれている。移民を受け入れ、不法入国者をコントロールしようとしてしきれず、異質なる者たちの出会いないし衝突が社会のあちこちで起こっている。だからこの本が取り上げる作家の何割かはアメリカで生まれていなかったり、あるいは移民の二世だったりする。ジュノ・ディアス(ドミニカ共和国)、タオ・リン(台湾)、アレクサンダル・ヘモン(旧ユーゴスラビア)、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(ナイジェリア)、ハ・ジン(中国)、カレン・テイ・ヤマシタ(日本)、リン・ディン(ベトナム)……
 日本で言えば、楊逸やリービ英雄やアーサー・ビナードやシリン・ネザマフィ、古くは金達寿のような文学者がたぶん日本の百倍くらいいるのだ。異文化の人たちが来ればあちこちで衝突が起こる。それを承知で国を開く。異質の要素による活性化の方に賭ける。たとえメイフラワー以来の家系を持つ作家であっても押し寄せる新しいアメリカ人たちと張り合わなければならない。だから、実際、現代アメリカ文学はそのまま現代世界文学になっているのだ。
 ドン・デリーロの『墜ちてゆく男』の話は今の我々にとってとりわけ意味が深い。なぜならば9・11の後の状況は3・11の後の状況によく似ているから。
 この小説についての指摘、「一度国家の物語に回収されてしまったものを、再び個別の物語にまで微分すること。事態を簡単に理解したつもりになったり、あるいは安易な理由付けや処方箋を与えたりすることを拒み、過ぎ去った人々の顔を決して忘れないこと」って、そのまま東日本大震災に対するぼくたちの姿勢ではないか。

 (いけざわ・なつき 作家)

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