書評

2012年6月号掲載

カウンター目線で語る「いい人、いい酒、いい肴」

――太田和彦『太田和彦の居酒屋味酒覧〈第三版〉精選173』

角野卓造

対象書籍名:『太田和彦の居酒屋味酒覧〈第三版〉精選173』
対象著者:太田和彦
対象書籍ISBN:978-4-10-415808-9

 二十歳で文学座に入りましたが、劇団経営を維持するためもあって地方での公演があり、当初から旅は多かったんです。例えば東京で二週間の公演があると、その前後に同じ演目で旅公演があります。全国各地に演劇の鑑賞会があり、その例会に呼んでいただくわけです。
 鑑賞会は東北や九州といった各ブロックに分かれ、二ブロック周ると、延べ、ふた月は旅公演です。かつては役者、スタッフ全員で旅館に泊まり、食事はすべてついていた。芝居が終わって、装置を全部ばらしてトラックに積み込んで、旅館に帰って大広間で全員で飯食って、酒飲んで……酒はほとんど持ち込みで安く上げる上、夜遅くまで騒ぎますから、迷惑な客だったでしょう(笑)。とはいえ、ひと晩、ふた晩ならいいんですが、四、五日いると飽きますから、夕食の後、外に出るんです。劇団の先輩から代々伝え聞いたその土地の飲み屋、居酒屋があったし、自分でも鼻を頼りに探しましたから、ガイド本がない頃も居酒屋はよく行っていました。
 今は、鑑賞会の会員は三十代以上の奥さま方が多いので、芝居もマチネ(昼間の公演)が多い。主婦は夜には出かけにくいですからね。でも、観るだけじゃなくてポスター貼りなど公演の手伝いもしてくださるので、終演後、交流会という形で居酒屋でみなさんとわーっとやることがあります。ただ、そういう時は大抵、大箱の店が多いですから、私好みの店とは言い難く、正直、連日はきつい。まあ、これも仕事のうちですから文句は言えませんが。責任を果たせる程度で勘弁してもらいます。最近は食事つきの旅館も少なくなって宿泊はビジネスホテルなので、可能な限り、ほとんど単独行動。芝居が終わった後は仲間とは一緒にいない、に徹しています。
 マチネの日はいいですよ。明るいうちに公演が終わり、翌日も公演があれば片付けもなくホテルに帰り、ゆっくりバスタブに浸かっても予約しておいた店の口開けに間に合う。そしてカウンターに座ったら、もう、芝居のことは考えない。ただ品書きを見て、次は何頼もうか……それだけに専念する。器が好きなので気の利いた小皿なんか使う店はいいですね。頼んだ品を出すタイミングに気を使ってくれる店も、うれしい。そんな私の好みに、太田さんが『居酒屋味酒覧』で選ぶ店は必ず応えてくれます。
 若さに任せて芝居仲間とウィスキーを飲み明かし……なんて頃もありましたが、四十代になって日本酒と和食に嗜好が変わってからは断然、居酒屋一本槍です。
 かつては、太田さんの名著『ニッポン居酒屋放浪記』文庫三部作をトラックに載せるボテ(私物用トランク)に必ず入れていました。文庫三冊に地域が分散しているのでセットで持ち歩かなければなりませんでしたが、そこに登場したのが『居酒屋味酒覧』(第一版・二〇〇四年九月刊)です。一冊に全国が入ってますから、便利なこと、この上ない。行った店の頁にはその場でひと言、書き込みをする。かなり持ち歩いて書き込みも増えた頃に「第二版」(〇八年一月刊)が出て持ち替えました。それぞれの本のうち、大体三分の二ぐらいのお店に行きました。こんなに間違いのない――行ってみてハズレがまず、ない、という意味で、素晴らしいガイド本です。
 文章もただメニューが書いてあるだけじゃなくて、お店のいい所、勘所をうまく捉えている。読み物としても面白くて、一度読んで、時間を置いて何度読んでも飽きないんです。お店の様子を思い出して笑ったり。何よりも素敵なのは、全く偉そうでないところ。その世界でいろんなことを知ってしまうと、無意識に「おしえてあげましょう」的になりがちです。それが一切なくて、カウンターに座っている目線でいろんなことが全部書かれている。そのポジションを維持していられるのは太田さんの見識、人間性なのでしょう。その「カウンター目線」が読み手の共感を呼ぶのだと思います。
 初めてのお店で問われて『居酒屋味酒覧』で知った、と答えると、「その本を持って『すべて制覇するんだ』とおっしゃるお客さんもみえます」と。私はまだ、そこまでできませんが、一度行った店はリピート率が高いです。たとえ四、五年ぶりでも、どのお店もいつも温かく迎えてくれる。太田さんが言うとおり「人」ですね……「いい人、いい酒、いい肴」、これに尽きます。酒がよくても、つまみがよくても人がダメだったら、もう一回来ようという気にはなりませんから。いい人がいい酒も、いい肴もつくるんじゃないでしょうか。
 今年冬には関西方面、年が明けたら東北方面に旅公演があります。いずれも今回「第三版」で太田さんが力を入れたという地域。なじみの店も久しぶりで今から楽しみです。(談)

 (かどの・たくぞう 俳優)

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