書評

2012年7月号掲載

嵐のなかで夢見るひとたち

――瀬戸内寂聴『烈しい生と美しい死を』

森まゆみ

対象書籍名:『烈しい生と美しい死を』
対象著者:瀬戸内寂聴
対象書籍ISBN:978-4-10-114442-9

 昨年二〇一一年は、三月十一日の未曾有の震災が起きた年であると同時に、日本初の女性解放誌『青鞜』創刊百年の記念すべき年だった。そして十一月、東京新聞夕刊に瀬戸内寂聴さんの『この道』がはじまると、大正時代に徳島で生まれたご自身の来歴が語られるのかと思いきや、『青鞜』の発刊から百年前の「新しい女」が、因習からの解放の希求が、それを達成する苦しみが語られて行く。
 平塚らいてう、田村俊子、岡本かの子、伊藤野枝、小林哥津、尾竹紅吉、管野須賀子……。でも最後まで読むとちゃんと著者の自伝になっている。それも百年の女性たちの生き方をずらりと並べた中での、構えの大きな自伝に。その連載がまとめられたのが、本書である。
 ある男友達は毎晩、連載で知った彼女らの魅力についてツイッターしていた。
 それは私がかつて中学生時代に波にさらわれるように読んだ『美は乱調にあり』の世界である。しかし新聞連載という形をとることによって、一人一人の魅力はくっきりと際立ってくる。初めての読者は、明治の末から大正のはじめにかけて、かぼそい力で自前の雑誌を作ろうとした女たちがいることを知る。
「元始、女性は太陽であった」と高らかに宣言した平塚らいてう。年下の生活力のない画学生と同棲し、未婚のまま赤ん坊を産んだ。当時としてはどれほど勇気あることだろう。しかし静かな内省的な時間を大事にする彼女が子どものような男と雑誌の二つは持ちきれなくて、ついに雑誌を手放すゆくたてをはらはら読み進めることになっただろう。
 そして高級官僚の娘で教養も高かったらいてうに対し、福岡の海辺の村から出て来た十代の伊藤野枝のなんという溌剌とした吸収力。十代で『青鞜』に加わり、女学校の恩師辻潤にそだてられ、彼の子を生みながら、原稿を書き、社会の非難に元気よく立ち向かって行った野枝は、妊娠中に木村荘太の求愛に動揺し、第二子を産んだあと、乳のほとばしるなかで新しい男大杉栄に抱擁される。そして大杉の妻堀保子と恋人神近市子との四角関係を戦い抜き、それはついに日蔭茶屋事件という刃傷沙汰になって、曲折の末、野枝は恋の勝利者となる。
 著者は、それぞれの女たちが「そのときをそうにしか生きられなかった」ことに対し、じゅうぶんあたたかい理解をもっている。「こんな野枝を不貞だとか、非常識だとか嘲笑する人物は、一度も本気で愛し愛されたことのない人間だろう」などと書かれていて、どきっとしてしまう。
 私自身、地域雑誌を同じ千駄木で始めたものとして、『青鞜』にひとかたならぬ愛着を持ってきた。著者が女性たちの生き方、恋愛、出産、別れを強調するのと異なり、メディアとしての『青鞜』の作られ方、受け取られ方に興味がある。たとえば部数とか、印刷所選びとか、広告集めとか、校正や配本、お金の出入りなどに。
 と同時に、三人の子どもがいたために男に奔りきれなかった自分(一人ならできたかも?)としては、子を辻潤のもとに置いて大杉に奔り、第二子も御宿で里子に出してしまう伊藤野枝の心理は理解しにくい。人はどうしても自分の影法師の中にしか、他人を推し量ることができないものなのか。しかし若妻として恋を得て、子を置いて家を出た瀬戸内さんは、この伊藤野枝の行動にも深い理解を示している。ご自身、もとの家に自分の産んだ子を盗みに行ったというような葛藤を生涯かかえつつ。
 伊藤野枝は後世に瀬戸内寂聴という知己がいることを、もって瞑すべきであろう。そして野枝は関東大震災後の混乱のなかで、夫と甥とともに権力によって若くして縊り殺されたけれど、理解者は九十代を迎えてなお、繰り返し自分を語ってくれる。なんと幸せなことではないか。岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』などの先行研究はあったとしても、伊藤野枝が広く世に知られるようになったのは瀬戸内晴美の小説『美は乱調にあり』によるものだ。
 だけど伊藤野枝は一八九五年生まれ、瀬戸内さんは一九二二年生まれ、二十七歳の差しかなく、これは瀬戸内さんと私の三十二歳の差より小さい。野枝が長生きすればもちろん瀬戸内さんと出会えていただろうし、平塚らいてうも長生きして一九七一年までは存命だったので、瀬戸内さんだって、いや当時、高校生の私だって会おうと思えば会えなかったわけではない。考えてみれば不思議。
 しかし著者は「どうして瀬戸内さんは私に逢いに来ないのかしら、来れば何でも話してあげるのに」とらいてうや富本憲吉夫人となった尾竹紅吉が言っても会いに行っていない。これは対象と距離を置きたいという作家の潔癖さであるとともに、なんといっても著者が「野枝好き」であるからだろう。毛が濃くて、あか抜けない、ぷりぷりした弾力性のある野枝、女性たちからは田舎臭い小娘と思われながら、けっこう男たちには引力が強かった野枝、ダダイスト辻潤とアナキスト大杉栄という才能ある男二人に愛され大切にされた野枝。子どもより自分が大事、畳の上では死ねないと覚悟して「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と書いた野枝、大杉の日本脱出を支え、ともに関東大震災後に縊り殺された野枝、その二十九歳の短い生涯はすばらしく魅力的である。
 それにしても、伝記作家の私には、著者が六〇年代に野枝の叔母、妹、娘たちに会っていることはチョーうらやましい。『青鞜』関係者の生田花世や小林哥津にも、岡本かの子の子息岡本太郎や管野須賀子の恋人荒畑寒村にも辻潤の恋人たちにも。資料は逃げないが、人の話を聞く機会はのがすと永遠にめぐってこない。ここに書かれたことを大切に受け取り、違う光を当てて書きついで行くことが、私たち次の世代の使命であり義務であろう。そうして歴史はつながって行く。
 瀬戸内さんが東京電力福島第一原子力発電所の事件(事故ではない)に心を痛め、福島の女性たちと一緒に霞が関の経産省前の抗議のテントにいらっしゃる姿を新聞で拝見した。ひとが生まれ、育ち、前の世代を継承し、後の世代に託し、歴史がつながって行くこと、原発はそれを奪ってしまう、そう思われたのではないか。
 らいてうが生きていたら、野枝が生きていたら、いま何をしていただろう。本書を軸にそう考えることが、自分をごまかさなくていい、嘘をついて生きなくていい、という解放感を与えてくれる。

 (もり・まゆみ 作家)

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