書評

2012年7月号掲載

『片桐酒店の副業』刊行記念特集

ただものではない、徳永圭。

――徳永圭『片桐酒店の副業』

今井麻夕美

対象書籍名:『片桐酒店の副業』
対象著者:徳永圭
対象書籍ISBN:978-4-10-332381-5

 さびれた商店街のいちばん端にある片桐酒店。昔ながらの店構えで、ガラス戸にはこんな貼り紙がしてある。「お荷物何でも配達します」。中に入ってみると、店番のおばちゃんがテレビを見ながら漬物をぽりぽり。そしてスーツ姿でビールケースやら雑多な包みやらをライトバンに積み込む男がいる。事務所には達筆の「困ったときのまごころ便」という標語――ははあ、片桐酒店の副業というのは配達で、さてはこのスーツの男が依頼を通して問題を解決していくお仕事小説か、とはじめ想像し、やがて裏切られ、ついには落差に驚いた。
 一作の小説の中で、始まりと終わりの風景がこんなにも違うなんて。そして一人の作家は、デビュー作と二作目の間でこんなにも進化を遂げるものなのかと。
 その作家、徳永圭(とくながけい)一九八二年愛知県生まれ。京都大学卒業後メーカー等の勤務を経て、昨年、三浦しをんや万城目学を発掘した作家エージェントが主催するボイルドエッグズ新人賞を受賞。デビュー作『をとめ模様、スパイ日和』は二〇代半ばの女性の日常と葛藤、まさに「乙女模様」がビビッドに描かれていて、好感を持った。ただスパイの持つエンタテイメント性をいまいち発揮しきれていない感もあり、「スパイ日和」の部分が霞んでしまったなあ、惜しいなあと物足りなさが残ったりもした。
 ところが、である。第二作にあたる本作では、エンタメと心理描写がみごとに融和していた。テンポよく読んでいるうち、いつのまにか重い深いところに連れられていく。人間ドラマをエンタメに仕立てつつ、細やかな機微まであぶりだす。ただものではない、徳永圭。みなさーん! この作家、早めに押さえておいたほうがいいですよと声を大にして言いたい。
 アイドルへ差し入れを手渡してほしい、思い出の壺を沖縄の海へ還してほしい、悪意を届けてほしい……と、普通の宅配業者だったら拒否しそうな品物も、平然と預かる。法に触れないものだったら何でも届けるのが片桐酒店の二代目・片桐章のモットーだ。店番のフサエさんにあれこれ言われつつ、臨時バイトの丸川青年を巻き込みながら、ワケありの品々をスーツ姿で配達する片桐。そのクールで、時にコミカルな任務遂行ぶりは読んでいて楽しい。だが品物を届けるたびに喪失にも出会う。アイドルからは出しぬけに引退を、病院に配達に行けば職員からリセット願望を打ち明けられる。シニカルに対応する片桐だったが、その陰に時折彼自身の葛藤が見え隠れする。ざらりとした違和感を残すそれらの描写が過去に結びつく時、これは配達の話ではない、大きな喪失を抱え自らを責め続けて生きる一人の男の物語なのだと気付く。だから片桐はあんなにもシニカルだったのだ。胸を抉られるような痛み、後悔と共に生きていくことの重みが迫ってくる。
 会社勤めをしていた片桐は、八年前ちょっとした出来心で同僚に届け物を頼んだ。それは喪失の記憶となり、先代の父親がはじめた「困ったときのまごころ便」という副業込みで家業を継ぐことにもなる。人生を失う発端になった配達が仕事になるとは皮肉か、はたまた贖罪だったのか。店を継いだ直後、片桐は中学生の女の子からある品物を預かる。送り先は七年後の彼女自身。その配達を描いた最終章は、祈るような気持ちで読んだ。間に合ってくれ、届いてくれと。物語の最後、放つ光は圧巻だ。依頼主だけでなく片桐をも救い、読む者の心にもまっすぐに届く。
 過去からの配達物がもたらすのは、後悔のような痛みであったり、思い出のような支えであったりとさまざまだ。また時という距離を経て、本来の姿からねじ曲がっていることだってあるだろう。記憶から何かを受け取りつつ私達は今ここにある。もし抱えきれないほどの重くて苦しい荷物だったなら、解き放ちゆるすこともできるのかもしれない。それがきっと、生きていくということなのだと思う。
 片桐酒店の戸を開いた時には、思いもよらなかった。喪失と救済、過去と現在、その先へと続く光をも見せてくれるなんて。そしてさらに、この先の徳永圭も見てみたくなる。確かな小説を届けてくれる、信頼できる作家として。

 (いまい・まゆみ 紀伊國屋書店新宿本店勤務)

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