書評
2012年7月号掲載
そうか、もうあの男たちはいないのか
――城山三郎『よみがえる力は、どこに』
対象書籍名:『よみがえる力は、どこに』
対象著者:城山三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-113338-6
寄る年波に涙もろくなったのか。城山三郎さんの新刊『よみがえる力は、どこに』を読んだら、どうにもこうにも泣けてきた。
正確に申し上げれば、一読し、「どうでしたか?」と我が秘書アヤヤに感想を問われた際、心に残った部分について解説するうち、胸がいっぱいになってオンオン泣き出した。そんな私の泣き顔を見て、アヤヤもつられたか、目頭をぬぐい始める。
なぜ城山さんは逝ってしまわれたのだろう。日本人がその行き先を見失いつつある今こそ、城山さんに伺いたいことがたくさんあるというのに……。
『よみがえる力は、どこに』がこのたび刊行される運びとなった経緯は、担当編集者によると、
「城山さんのお嬢様が父上の仕事場の片付けをしていたら、まだ未発表の原稿が相当量、出てきたそうです。そのほとんどが奥様についての回想。おそらく奥様を亡くされたあと、城山さんが思い出すまま、書き残したいままに、折々綴られたものらしく、章ごとの枚数も順番もばらばらなのですが、先に刊行された『そうか、もう君はいないのか』とはまた違う奥様へのオマージュになっているんです」
そのオマージュ原稿に加え、城山さんの講演録と吉村昭さんとの対談を組み合わせてまとめることとなった。
本書は、第一部が書名と同じタイトルの講演録、第二部に、ベストセラーとなった亡妻追想記『そうか、もう君はいないのか』の新発見続稿「君のいない一日が、また始まる」を据えて、第三部は作家吉村昭氏との対談「同い歳の戦友と語る」という、三部構成の体裁を取っている。私が涙したのは実のところ、奥様について書かれた第二部ではない。先に第二部の感想について申し述べるならば、ひたすら驚愕と感動である。
あー、城山さんは心底、奥様が可愛くてしかたがなかったのだなあ……。そして、その最愛の奥様を失ったあと、嘘でも大げさでもなく、真実、生きている気力を失ってしまわれたのだなあ。
城山三郎さんが亡くなられてまもなく、都内のホテルでお別れ会が催された。城山さんの遺影を前にして、生前、特にゴルフを通して親しくされていた渡辺淳一さんが弔辞を読まれた。その内容についてはすでに発表されているので今さら私がご紹介する立場にはないけれど、簡略に記す。
奥様を亡くされた城山さんがあまりにも弱り切っていらっしゃるので、見かねた渡辺さんが、再婚でもなさったらどうかと、ある日、妙齢の女性の写真を手に城山さんのところを訪ねたそうだ。すると城山さんは、「心配してくれるのは嬉しいが、再婚する気はまったくない」ときっぱり拒否。拒否しながらも女性の写真をためつすがめつごらんになる。なんだ、やっぱり興味があるんじゃないか。渡辺さんがそう思いながら見守っていると、城山さんがやおら写真から顔を上げ、
「この人、君のお古?」
しんみりと静まり返っていた会場に、その瞬間、ささやかな笑いが起こった。こんな粋な弔辞は初めてだ。渡辺さんの話しぶりもお見事だが、悲しみの中にありながら、そんな反応をなさった城山さんも粋だと思った。プッと吹き出し、そしてしみじみ、城山さんの奥様への思いの深さに胸打たれた。
以来、城山さんの奥様思いは承知していたつもりだが、本書の第二部にはさらなる愛が溢れてこぼれて、本から流れ出す勢いだ。
「ウチの親子関係は淡泊でね」
二十五年ほど前、雑誌の仕事で初めてお会いしたとき城山さんは私に向かってそうおっしゃった。ちょうど城山さんが翻訳された『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』という本がベストセラー・リストの上位を走っている頃で、その本の話を中心に伺うことになったのである。
「ご本、拝読しました。面白かったです」
開口一番、私が申し上げると、城山さんは皺だらけの顔をさらに崩して、
「そう。どこが?」
嬉しそうにおっしゃった。どこが……って。私は戸惑い、しばし考えてから、
「これは父から息子へ宛てた手紙ですが、女の私が読んでも参考になる教訓がたくさんありました」
「ふうん。それから?」
それから? まだ言わなきゃいけないの?
「あと、『むさぼるな』という言葉。どんなにお腹が空いていても人をかき分けて料理を取りにいくような品のないことをしてはいけない。人生も同じだと諭しているところなど……」
「いい読者だねえ。あとは?」
気がつくと、私ばかりが話している。インタビューをしにきたのは私だ。いかんいかん。私は慌てて体勢を立て直し、問いかけた。
「城山さんにはご子息がいらっしゃるそうですが、ご自身の息子さんにはなにかアドバイスなさったりするのですか?」
この質問に対する答えが、「淡泊」発言というわけである。そうか、城山家は皆さん、淡々とした関係なんだなあ。私はそのとき独りよがりにそう思い込んだ。だからこそ、お目にかかったことのない城山夫人もおそらく城山さん同様の淡々としたご性格であろうと勝手に想像したのである。
大いなる思い違いであった。外に向いては淡泊に見えたかもしれないが、城山さんの妻への愛は、並みではなかった……。
淡々と見えて情熱的な城山さんはしかし、奥様に対してだけでなく、取材を通して知った各界の名士への敬愛の情も並みではなかったと思われる。
ようやく私が泣いた理由を述べる段になった。私は、本書の第一部、講演録に登場する戦後日本の牽引車となった豪快な男たち、そして彼らを語る城山さんの慈愛に満ちた見識に、まいってしまったのである。
そもそも、作家の講演とはかくあるべきと思わせられる城山さんの絶妙な構成を目の当たりにし、たまに引き受ける自らの講演のお粗末ぶりが恥ずかしくなって、まずちょっと、泣いた。続いてそこに取り上げられている人物一人一人の度量の大きさに、仰天する。
夫人との生活費を月十万円だけ残し、あとの収入はすべて母親が創設した女学校に寄付した末、壊れた玄関の扉も直せぬほど清貧そのものの暮らしを送ってへっちゃらな経団連会長の土光敏夫。「社長なんて偉くも何ともない。課長も部長も社長も、包丁も盲腸も脱腸も同じだ。要するに符丁なんだ。人間の価値とは関係がない」と宣言し、肩書きより人間そのものを大事にした本田宗一郎。国会の運輸委員会に呼ばれ、「粗にして野だが卑ではないつもりです」と自らを紹介し、国会議員に対して、「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」とはっきり言い放ち、政治家に答弁する際は、「何々先生」ではなく「何々君」と呼んだという、国鉄総裁の石田禮助。
城山さんによると、石田禮助という人は、勝新太郎主演の「座頭市」が好きだが、「水戸黄門」は好きではないという。
「印籠を見せて、威張るのは、肩書きや権威を笠に着ているから嫌い」
という理屈らしい。そして石田総裁は、当時、彼の下で副総裁を務めた磯崎叡に向かい、「日常の仕事は、すべてきみに任せる。きみのいやな仕事は全部おれが引き受ける」と。
「ずいぶん多勢の人に仕えたけれど、あんなに気持のいい人はいなかった。毎朝、石田さんに会うのが愉しみだった」
これは磯崎副総裁の言葉である。毎日、会うのが楽しみな上司。「気持のいい人」という言葉で評したくなるような上司。そんな男たちの姿を清々しく語る城山さんの口調が聞こえてくるようで、私はつくづく、こんな男たちに会いたかったと胸がうずく。
城山さんが語る男たちは、気骨と筋が通っているだけでなく、ユーモアと愛嬌に満ちている。もちろんお会いしてみれば、欠点や嫌なところもなかったわけではないだろう。よく存じ上げないが、お腹が出ていたり、すこぶるハンサムとは言い難かったりしたかもしれない。しかし、そんな想像をしてもなお、城山さんの言葉で描写されると、いともセクシーな、たまらなく魅力的な男たちに見えてくる。
どうか城山さん。天国もなかなか心地よいところかとは拝察いたしますが、たまには石田さんや土光さんや本田さん、そして、同い年の戦友、吉村昭さんと連れ立って、散歩がてらにでもこちらへ降りてきてはもらえませんでしょうか。そしてこの、損得と嫉妬と不安ばかりが渦巻く現世を、ドカンと叱り飛ばしていただきたいのです。今、日本によみがえる力があるとすれば、それは城山さんたちが残してくださった堂々たる志の中に潜んでいると思われるから。
(あがわ・さわこ 作家)