書評・エッセイ

2012年7月号掲載

母に時刻表を焼かれた人もいる

――日本鉄道旅行地図帳編集部編『旅別冊 鉄道ファン大全』(新潮「旅」ムック)

田中比呂之

対象書籍名:『旅別冊 鉄道ファン大全』(新潮「旅」ムック)
対象著者:日本鉄道旅行地図帳編集部編
対象書籍ISBN:978-4-10-790048-7

 一年前の正月、南海電鉄難波駅ホームで電車の出入りを眺めていた。一番端の特急ホームに「ラピート」が入線したので、カメラを出して一枚、二枚とシャッターを切っていた。気がつくと私の横に、二十代後半の母親が三歳ぐらいの男の子に話しかけていた。「ほら○○ちゃん、ラピートよ。……今日は雷鳥も見たし、新快速も見たし、よかったね」。東海道本線のどこかの駅、大阪駅とかから難波まで「転戦」してきたのだろうか。
 数年前から「ママ鉄」という言葉を聞くようになったが、私の横で鉄人28号顔の「ラピート」を子供に見せている母親こそ「ママ鉄」そのものであった。
 しかし、と老境に入りつつある鉄道マニアは思う。「ママ鉄」という言葉こそ二十一世紀のものであろうが、実態としては私の子供の頃、つまり少なくとも五十年前から厳として存在していた。
 三歳から五歳まで横浜市神奈川区に住んでいて、近くは東急東横線、すこし遠出をすると東海道本線の列車を見ることができた。横浜駅近くに青木橋という陸橋があり、母親に連れられて、東海道本線の列車を飽くことなく眺め、時には特急「こだま」が来るまで帰らないと駄々もこねたという(一日二往復しかない特急「こだま」を本当に待っていたのかという疑問は湧くが)。
 小学生になってからは「電車の運転手になる」と早くも将来の展望を明らかにし、五年生の夏休みには、母親に連れられて房総半島一周という「乗り鉄」養成講座的な経験もしている。そしてそのまま大人になって現在に至っている。
 では他の同好の人たちはどんな幼年~青春時代を送って来たのか。『旅別冊 鉄道ファン大全』の編集意図は、もちろんそこにあるわけではない。一口に鉄道ファンといっても、幅も広いし、奥も深い。同好とはいえ隣で何を楽しんでいるのか深くは知らないものだ。なので同好者の生態を俯瞰してみたかったし、知りたかった。
 趣向の分類を路線図にし、最近の鉄道メディアの動向をまとめ、乗り鉄、撮り鉄、駅弁、スタンプ……十数人のかなり深く楽しんでいる人々に楽しみ方をお書きいただいた。もちろん蒐集家には自慢のコレクションも紹介してもらった。皆さん、少なくないお金と人生の大切な時間を鉄道趣味に割いている。
 楽しみ方もさることながら、なぜ自分が鉄道を好きになったか、なるべく幼少期の体験をまじえて語っていただいている。鉄道ファンの幼児体験は、時代が違っても似ているところが多々ある。それも知りたかったのだ。
 なかでも駅名を長年研究している星野真太郎さんのお話は強烈だった。小学生の時に時刻表にのめり込み、勉強もせず、それまで熱中していた野球にも行かず、学校から帰ると部屋に籠もって時刻表を読み続けた。心配したお母様はある日時刻表を焼いてしまったそうだ。
「秘境駅」の生みの親、牛山隆信さんのお母様は、「ママ鉄」の典型であろう。小学生だった牛山さんが時刻表に熱中している頃、中央本線のスイッチバックの話を聞かせたり、ローカル線の旅に連れていってくれたという。その路線選択も芸備線や八高線など、かなり渋いところばかりだったようだ。それが後に「秘境駅」を生んだともいえそうだ。
 鉄道ファンに「後天的な」人はいないという。ものごころついた頃には鉄道が好きになっている。そこには身近な親、特に母親が大きな役割を果たしているのではないかと、自分の経験を踏まえ、『鉄道ファン大全』を編集しながら確信するようになった。

 (たなか・ひろし 編集者)

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