書評・エッセイ

2012年7月号掲載

「ミスター円」が描いた黒衣たちの肖像

――榊原英資『財務省』(新潮新書)

幸田真音

対象書籍名:『財務省』(新潮新書)
対象著者:榊原英資
対象書籍ISBN:978-4-10-610475-6

 消費増税をめぐって政治の世界が揺れている。
 増税はいつの世も歓迎されないものではあるが、不満の声が批判となって、いまは財務省や霞が関へ向かい、官僚バッシングはますますエスカレートしている。
 なかには「財務省が政権と国民をマインドコントロールしている」とか、「国の累積債務一〇〇〇兆円なんて大したことではない。バランスシートをしっかり見れば、国には資産がたっぷりあるではないか」などというものまである。
 野田佳彦総理大臣は、そんな声に追い立てられるようにして、ついに「公務員数の削減」も口にし始めた。
 だが、それは本当なのだろうか。
 われわれは財務省の内部や、彼らの仕事、財務官僚の実態をどこまで理解しているのだろう。そもそも、日本の官僚はそれほど多すぎるのだろうか。
 そんな疑問に答えてくれるのが本書である。
 愛嬌のある笑顔で、ガハハと高笑いをしながら、そのくせいつもズバリと世相を斬ってみせる著者だが、自身を「親財務省」であると明確にしたうえで、みずからの出身母体である財務省を語っているのだから、面白くないはずがない。
 キャリアとノンキャリア。組織と昇進のメカニズム。歴代の大物次官の肖像。官僚の国際比較も必読だが、ここまで書いていいの? と心配になるほど、内部にいた著者ならではのエピソードが満載で、読む側を飽きさせない。
「野中広務は苦手だったけど、事務所にいかざるを得なかった」とか、「新自由クラブから選挙に出ようとした時、竹内道雄次官に、新自由クラブは長続きしないよ、と言われた」など、政治の世界の裏側も垣間見られ、興味が尽きない。
「榊原英資」といえば、「ミスター円」という呼び名がすぐに浮かんでくるのだが、その背景ともなった九五年の為替介入で、一ドル八〇円を切っていた市場が一気に九九円五〇銭まで戻ったときのことは、記憶している読者も多いだろう。
 あのときの日米独の協調介入では、米国側のカウンターパートだったのが当時の財務副長官ローレンス・サマーズ。そして、最前線で為替介入の指揮を執っていたのが、当時の為替資金課長、現在の勝栄二郎財務次官だという。
 合言葉は「サプライズ」。規制緩和を組み合わせ、日米独連携の介入で、著者は部下の勝課長に「勝つまで続けろ」と指示を出す。かくして市場は円安に流れを変えたのである。
 八〇年代、銀行業界が「護送船団」のぬるま湯にどっぷりと浸っていたころ、霞が関に君臨していた大蔵省による裁量行政の実態と、それゆえまかり通っていた「接待漬け」という「常識」のなかで、米銀時代の私はたびたび大蔵省の中堅官僚たちを料亭に招き、情報収集に努めたものだった。
 その後、作家になり、小説の取材で当時の大蔵省の若手官僚と会ったとき、彼の口から上司に「お仕えする」という古風な言葉が聞こえてきて、驚いたのを覚えている。
 冷静で優秀、どんなときも素早く答えをくれるのが財務省の官僚だが、なにより、徹底的に黒衣(くろご)に徹するのが財務官僚としてのDNAであり、矜持なのである。
 接待スキャンダルがもとで、大蔵省が財務省と金融庁になった「財金分離」も、見直すべき時期が来たと著者は述べている。金融庁の存在感の低下を危惧する声は、金融界からも聞こえてくるが、不正年金運用のAIJのような事件の発生を許す背景にもなっている。短絡的な時代の逆戻りは望ましくないが、本書が議論のきっかけになったらと心から願う。
 政権交代を経て、やたら演説ばかりうまいアマチュア集団に政治を委ねてしまったわが国は、いまやあちこちで軋みが生じている。だからこそ、せめて国の根幹を担う税財政や金融だけは、まともなプロたちに任せなければならない。
 ポピュリズムに走る無責任なメディアに惑わされず、安易な官僚批判ではなく、いまこそこの国になにが必要かを知るべきだと訴える著者の声は、きっと読者に伝わるはずだ。

 (こうだ・まいん 作家)

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