書評・エッセイ

2012年8月号掲載

『歌に私は泣くだらう』刊行記念特集

詩神が二人に近づいた時

――永田和宏『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子(かわのゆうこ) 闘病の十年』

川本三郎

対象書籍名:『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』
対象著者:永田和宏
対象書籍ISBN:978-4-10-126381-6

 妻を失なった夫は泣いていい。
 その涙から書かれた素晴しい亡妻記である。長年寄り添った妻、歌人の河野裕子の発病(乳癌)から死までを見届けた夫が悲しみを抑え、妻との最後の日々を振り返ってゆく。
 何よりもまず後悔がある。あの時、ああすればよかった、こうすればよかった。生き残った者は先きに死んでいった者に詫びるしかない。無力だった自分を責めるしかない。
 二〇〇〇年、妻がはじめて癌を告知された日、診察を終えて病院から出て来た妻が思ったより明るい表情だったのを知って夫は安心する。しかし、あとで妻がその日のことを書いた随筆でいかに打ちのめされていたかを知り、愕然とする。それに気づかなかったとは。
 手術の日、夫は最後まで付添わず仕事で出張に出た。いまそのことが「あまりにも思い遣りに欠けたことだったと言わなければならない」。
 妻は癌と闘っている。それは充分に分かっていても、夫は仕事で、学会へ短歌関係のイベントへと忙しく出てゆかざるを得ない。癌を患う妻と健康な夫。分かり合っている夫婦のあいだにもどうしても溝が出来てくる。
「しんどがる私を置いて出でてゆく雨の中に今日も百の朝顔」という妻の一首に触れ、夫はまたしても愕然とする。「なぜもっと早くこの一首に萌しはじめた河野の不安、不満、不信に気づいてやれなかったのか」。
 長年、いい家庭を築いてきた夫婦であっても連れあいが癌という死に至る病いを患った時、亀裂が生じざるを得ない。夫だからといって妻の心をすべて分かる筈がない。
 ある時から妻の精神状態が悪くなる。夫に当たる。言葉にはならない怒りをぶつけてくる。「しんどい、もう死にそう」と訴える。それが繰返される。「私のほうがそうとうにまいってしまった」。
 怒りが爆発すると「あんたら、寄ってたかって私を殺そうとする」とまで言うようになる。ついには「あんたのせいで、こうなった」とまで責めるようになる。
 夫としてつらいだろう。妻の苦しみが分かるだけにいっそうつらい。家族みんなが普通の生活をしているのに、自分だけが置き去りにされている。女性にとって乳房を取るだけでも苦痛なのに、この「置いてきぼり感」が妻を追いつめてゆく。
 夜中に包丁を持ち出して夫に迫ることさえあったというから修羅場である。仲のいい夫婦にこんな惨劇があったのかと衝撃を受ける。夫もついに感情を爆発させ、ものを投げつけたこともあった。こんな夫の一首に慄然とする。「この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし」。
 しかし、徐々に嵐はおさまってゆく。精神科医、木村敏の治療がよかったせいもあるが、何よりも妻にも、夫にも、歌というかけがえのないよすががあったからだろう。
 歌という形式が、荒々しい感情、生ま生ましい激情を抑制する。心を歌に託すことで自分を客観視出来る。
 歌を作り続けることによって妻は自分を取り戻す。いや、死を見つめながら歌を詠むことで、新しい自分を獲得してゆく。嵐を乗り越えたものの澄んだ境地だろうか。再発後のつらい日々のなかで妻に「静かに凪いだ水面のような精神の安定」が訪れる。「死というものを考えに考え、おかしくなるほどに真剣に考え抜いた末に、彼女が辿りついたある種の精神の高みなのであった」。
 死にゆく者はある時、仏様のようにきれいな顔になる。それはこの「精神の高み」のためかもしれない。
 最後が近づいた時、夫は決断を迫られる。医師からモルヒネの量を増やしたらどうかと言われる。夫は考えた末に、それを拒絶する。確かにモルヒネを増やしたら苦しみは減る。しかし眠ってしまい妻は歌を作れなくなってしまう。夫は苦渋の末、歌を選ぶ。
 残酷な決断だったろう。しかし、それがあったからこそあの胸を打つ秀歌――、「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」が生まれた。「私が自分の手で、この一首を口述筆記で書き残せたことを、涙ぐましくも誇りに思う」。
 共に秀れた歌人である夫婦の凄絶な「精神の高み」に粛然とする。この歌はおそらく神様から与えられたものだろう。その瞬間、詩神が二人に近づいたのだ。

 (かわもと・さぶろう 評論家)

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