対談・鼎談

2012年8月号掲載

内田樹『ぼくの住まい論』刊行記念対談

凱風(がいふう)館の“ふるさと”を訪ねて

内田樹 × 小林直人

対象書籍名:『ぼくの住まい論』
対象著者:内田樹
対象書籍ISBN:978-4-10-330012-0

 神戸の一隅、80坪の敷地に建った、内田樹自邸兼道場(能舞台付)、「凱風館」。
 建物の梁や柱となる木材を提供された小林直人さんは、京都府南丹市美山町で林業を営まれている。竣工までの一部始終と思想的背景を追った『ぼくの住まい論』にも登場いただいた小林さんを、内田さんが美山に訪ね、語り合う――。
 

毎年5月になると

内田 毎年この季節になると、美山まで出かけて山菜天ぷらをいただくのが恒例になりました。新緑の中、神戸から車を走らせるのはほんとうに気持ちいい。

小林 娘さんはお元気ですか?

内田 はい。歳が近いこともあって、素紀ちゃんや由紀ちゃんには、うちの娘とよく遊んでもらいました。

小林 ここに初めて来たころは内田さんも若かったですもんね。お互い歳をとりました。

内田 ぼくはそのころ、子育てに必死の若いお父さんでしたからね。そのころの直人さんは、俳優の山崎努ばりのシブい無口な人で、10ほど年下のぼくからすると、少し怖かったです。普段は寡黙なのだけど、たまに口を開いてぼそっという言葉が妙にかっこいい(笑)。謎めいたことを言うんですよ。おしゃべりなぼくから見ると、ちょっとあこがれの人でした。

小林 そうね、内田さんは結構話すほうですよね(笑)。

内田 だから、うちでは直人さんのことをひそかに「哲学する木こり」と呼んでいました。今はこっちもいい加減に歳をとったので、目の前でそう呼んじゃいますけれど(笑)。

 京都の大学で哲学を専攻されたあと、卒業後に林学を学ばれたんですよね。美山のこの家で、林業の勉強会の「森林学校」をずっとやっていらっしゃって、いつも人がわいわいと集まる談論風発の「場」がここにはあるという印象でした。

 あの「森林学校」ではどんなことをされていたのですか。

小林 鶴見俊輔さんが長野でやっていた「自由学校」のメンバーが美山に来た流れで、年に何回か集まって勉強会を始めました。20年くらい前に学校のための小屋を建てたのがスタートですね。

 8年前から植林もやっています。「1本植えて後は知らない」では困るから、「ひとり100本植えて、せめて5年間は世話してね」と。ぼくは1日に200本は植えますが、初心者にはなかなか大変だったようです。ひとり100本は無理でしたが、それでも合計で700本植えまして、昨年には枝打ちするまでにいたりました。今や5メートルの高さにまでなっているんです。

内田 700本ですか!

小林 次は、炭を焼いてみようかと思っています。

内田 来年の楽しみが増えます(笑)。毎年1回こうしてお会いしていますが、今回は昨年の秋の道場開き以来ですね。

小林 その後いかがですか?

内田 とにかくにぎやかになってきました。出るときも慌ただしかったんです。ちょうど地元のだんじりに門人たちが出ることになって。

小林 それはいいですね。

内田 合気道の弟子は今150人ほどいますが、稽古が終わったあとも、自主稽古したり、座り込んでおしゃべりをしたりして、なかなか帰らない。あの道場はずいぶん居心地がよいらしいです。「いつか家を建てる機会があったら、直人さんのところの木を使わせてもらいます」と30年前に約束をしましたが、実現できてよかったです。

小林 こちらの方こそ、ありがとうございました。

内田 1階が道場兼能舞台(畳をあげると舞台になる)、2階が書斎とリビングにプライベートな居住空間、という木造2階建ての建物ですが、材料はすべて国産のつもりでした。日本の林業を守るために何かしたかったのですが、微力ながらお役に立ててよかったです。

 結局どれくらいの木材を凱風館に使わせてもらったんでしょうか。

小林 記録データを見てみましょうか。製材するので丸太で何本といった言い方はできないのですが、41立法メートルですね。大きくスペースを使う道場では、間に柱が何本も入るわけではないし、製材も経ますから、最終的な使用量はそれほどでもないんです。

内田 数字を言われてもあまりぴんと来ないんですけど。わりと少なかったんですね。とにかく、話が決まってから伐採も乾燥も直人さんが時間をかけてやってくださったそうですね。雪や雨の間はカバーで覆い、晴れると外す。そんな作業を繰り返して、手塩にかけてくださったそうで。ほんとうにありがとうございました。

小林 仕上がりがまったく違ってくるんです。自然は、手間をかけるだけの甲斐があります。

祖父の代に植えた杉

内田 切り出しからどれくらいかかったのですか?

小林 2009年12月に美山から切り出しました。祖父の代に植えた樹齢80年の杉です。その後はできる限り自然乾燥させました。枝葉をつけたまま、3ヶ月山に置くんです。葉から蒸散して水分が半分になる(「葉枯らし」という)。製材した後、間を空気が通るように木材を積み、またじっくりと水分を抜く。2011年3月に神戸に運びこみました。

内田 それだけ手間をかけていただいた素材に囲まれた空間だから、空気の肌理(きめ)が違うんです。空気の粒子が細かいんです。だから、みんな帰らない(笑)。

小林 杉はいいですよ。凱風館には2度ほどお邪魔して、自分の木がどうなったか様子も拝見できました。

内田 でも、ぼくのように直接に木材を現場から購入するということはあまりないようですね。

小林 ほとんどないと思います。製材は、中島工務店さん(凱風館の施工を請け負った建築会社)の加子母(かしも)(岐阜県中津川市)の製材工場でやってもらいましたし。ぼくの杉は、一度岐阜まで出かけてから神戸に行っています。

内田 小林さんは加子母にはいらしたことはありますか? 伊勢神宮の式年遷宮の際に切り出される檜の森、「神宮備林」もあるような、すばらしい土地なんです。

小林 日本の中でもユニークな場所ですよね。話には聞くので一度行ってみたいと思っていますが、まだなんです。

内田 一度ぜひご一緒しましょう。ちょうどこの夏に、ぼくも行くんです。中島工務店が、施主や関係した人たちを集めて植林作業をすることになっていまして。

小林 ほぉ。おもしろいですね。

内田 そこの中島社長さんがほんとうに面白い方でね。「もう電気は要らない」とおっしゃるような方なんです。発想が面白くて。

小林 こういうところに住んでいると、電気については深く考えざるをえません。

内田 山の中にいると、ですか?

小林 この美山はね、いま話題になっている大飯原発の30キロ圏内、一部は高浜原発の20キロ圏内なんです。

内田 え、そうなんだ。確かに、地図を見ると、本当に近いですね。

小林 いざというときは、近くの公民館まで行って、避難のためのバスで園部町まで運ばれることになっています。でも、実際に機能するのか大いに疑問です。凍結されていたトンネル計画も、日本海側からの避難経路として再び検討課題になっています。

内田 原発は、四半期ベースで考えたら採算の合う発電法かも知れませんけど、廃炉や廃棄物処理のコストを考えたらまるで帳尻が合わないと思います。「この夏は電気が足らない。だから原発再稼動しよう」というのはあまりに近視眼的ですよ。

小林 木の時間はまったく違います。年に数ミリ、数センチの単位で太くなっていく、高くなっていく。なにしろ80歳でやっと一人前ですからね。一度事故になったら取り返しのつかない原発については、なんでこんなものを、と腹が立ちます。

内田 何度も来ているこの美しい静かな場所で、村の人たちが、自分の村が放射能に汚染されて再び戻ることができなくなる日が来るということを、かなり蓋然性の高い未来として想像していると聞くと愕然としますね。

小林 80年後の木を相手にしているのと、3ヶ月単位で結果を考えるのとではまったく違ってくるでしょうね。

内田 現代人はもう長いスケールではものを考えられなくなってますね。

小林 この家も山も代々受け継がれたものです。ここは母屋ですが、隣りの家屋は、次女夫婦が最近住み始めたところ、大雨で雨漏りがしてきたので、屋根に杉の皮を敷き詰めたんです。屋根としての機能はそれで十分なので、防水シートは敷かずに1枚60センチ四方の杉の皮を重ねています。そうやって長く住んで行くつもりです。

内田 凱風館も見習いたいところです。あの杉皮葺きの屋根にはたんぽぽが咲いていたりして、かわいかったですね。

小林 見た目はいいのですが、実際に住むとなると、大変です。まあ、そのうちにまた勝手になにかしら生えてくると思うので、楽しみにしていてください。1年でも違いがありますよ。数年したら雑草がぼうぼうに生えているだけかもしれませんけどね(笑)。

内田 凱風館はようやく四季が一巡しかけてきたところで、住み心地の季節ごとの変化を楽しませてもらってます。これからどんな家になるのかな。

小林 どうなりますかね。なにしろ、こればっかりはわからない。

内田 家って、そこに住む人間と素材との対話の成果ですからね。

 (うちだ・たつる 凱風館館長/こばやし・なおと 哲学する木こり)

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