書評

2012年8月号掲載

すでにそこにあるいのち

――歌代幸子『精子提供 父親を知らない子どもたち』

角田光代

対象書籍名:『精子提供 父親を知らない子どもたち』
対象著者:歌代幸子
対象書籍ISBN:978-4-10-438803-5

 不妊と聞くと、女性の抱える問題となぜかすりこまれたように考えてしまうが、当然そんなことはない。男性が原因の場合もある。このノンフィクション作品は、父親が無精子症など、子を作ることのできない原因を持っていた場合の不妊治療、「非配偶者間人工授精」について書かれたものである。夫ではない、第三者の精子を妻の卵子と結合させる人工授精である。
 日本では、一九四八年に慶応大学付属病院ではじめて行われた非配偶者間人工授精、AIDによって、現在一万人以上の子どもが生まれているという。昭和二〇年代、様々な異論のなかではじまったこの治療の実施において、厳しい条件が付与されたのだが、その条件のひとつに「家族の将来に対する思いやりのため」、医師、精子提供者、夫婦がそのことを秘匿することが望ましい、というものもあった。そうして今なおその「秘匿」は有効なのである。
 著者は、今では成人している、AIDによって生まれた子どもたちに会いにいき、話を聞く。すべての人が、両親からその話を隠されて成長し、成人後、親の死や病気などのきっかけで、親から突然、明かされる。そしてすべての人が、強い不信感、喪失感、孤独感に嘖(さいな)まれる。父親と距離を持って育った子どもはそのことに納得して苦しみ、父親に愛されて育った子どもはやはりそのことに苦しむ。幾人かが、講演やこの取材で、この気持ちをそうでない出自の人には理解できないと思う、と言っている。私は本当にその言葉を、ある重みを持って実感した。
 オーストラリアやニュージーランド、イギリスが、AIDで生まれた子どもの、出自を知る権利を法律で守ろうとしているのに対し、日本は未だ、そのような問題が置き去りにされているという。家族は血縁者でなければならないというこの国の価値観の故もあるが、子の幸せを願う気持ちも大きいだろう。知らないほうがしあわせなはずだというその思いこみが、皮肉にも子どもを苦しめ、癒えない傷を負わせるということは、声を上げた子どもたちがいなければわからなかったことだ。
 彼らの苦しみに寄り添いつつも、しかし本書は、その技術の否定的な面ばかりを取り上げることをしていない。
 AIDの歴史ばかりでなく、子どもが産めない夫婦へのべつの選択肢、「里子」の歴史と現在、海外での出産事情、男性不妊の現場と、多方面にわたる取材を著者は丹念に行い、AIDを受けた父親、母親、また、男性不妊の治療に関わる医師にも話を聞いている。そうして浮かび上がるのは、AIDの是非では決してなく、家族とは何か、という私たちのだれしもにかかわることである。
 子どもがほしい。その強烈な願いは、両親のありようによって、ただのエゴに成り下がることもある。そう願い、実現に向けて一歩踏み出すということは、こんなにも覚悟のいることなのか。
 AIDで子どもを授かった夫婦の元を、著者は訪れている。二歳の息子に、すでにゆっくりと告知をはじめている家族、そして悩みに悩んだ末に、中学生の娘に告知をした家族。この先、これらの家族にまったく問題がないことはないだろうし、成長した子どもたちもまた、あらたな苦しみを抱くようになるかもしれない。けれど読んでいて、何かが動き出している確かな手応えを、感じることができる。中心にあるのは医療ではなく、人である、幸福を保証されてしかるべき人である、という当然のことが、多くの人の勇気ある言動によってようやく認識されてきたように思えるのである。家族はつくっていくもの、という文中の言葉が幾度も胸に響く。
 生殖に関わる医療技術の進化は、今なおある問題に加え、今後もずっと新たな問題を抱えていくのだろうし、それぞれの宗教や価値観のなかで、是非を問われ続けていくのだろう。けれどすでに生まれたいのち、それだけは絶対に肯定されなければならない。そんな頑強な著者の思いが、この一冊を貫いている。

 (かくた・みつよ 作家)

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