書評

2012年8月号掲載

少女よ、軽やかに進め!

――ライマン・フランク・ボーム/河野万里子訳『オズの魔法使い』(新潮文庫)

森絵都

対象書籍名:『オズの魔法使い』(新潮文庫)
対象著者:ライマン・フランク・ボーム著/河野万里子訳/にしざかひろみ絵
対象書籍ISBN:978-4-10-218151-5

 子供の頃、私にとって『オズの魔法使い』は特別な一冊だった。ふしぎな魔法に彩られたファンタジーは数多あるけれど、オズはどこかが違う、と子供心に感じていた。これはたんに面白い物語ではなく、すごくいい物語だ、と。
 このたび、河野万里子氏によるリズミカルな新訳版を味わい、大人心にも、やはりこれは無二の物語だと確信を深めた。大人になって読み返すと意外につまらなかったり、説教臭かったりする児童書が少なくない中で、オズの世界は今も変わらぬ腕力をもってハートをわしづかみにしてくれた。
 読者をつかんで離さないその力の根源には、まず第一に、作者ライマン・フランク・ボームの卓越したヴィジュアルセンスがあると思う。灰色の荒れ地に住んでいた少女ドロシーが、たつまきに飛ばされていった先でつぎつぎ出会う風景のなんとユニークで色鮮やかなことだろう。まず少女が目にするのは青を愛する人々がいる自然の恵み豊かな東の国だ。そこからドロシーは黄色いレンガの道を辿ってエメラルドの都をめざすことになる。トウモロコシ畑。深い森。ケシの花畑。道沿いの景色はくるくると展開し、到着したエメラルドの都は想像するだにまばゆい光彩を放っている。緑のメガネをかけていてさえも目が痛むほどの緑に輝く街――絶えず色彩感覚を刺激する描写は、それだけで読者を飽きさせない。
 無論、風景描写に負けず劣らず、人物描写も秀逸だ。かかし、ブリキのきこり、ライオン。少女の旅の道連れに、よくぞこんな珍妙な組みあわせを選んだものだと思う。なりゆき上、彼らは力を合わせて西の悪い魔女を退治することになるのだが、その動機となるのは正義感でもなければヒロイズムでもない。ドロシーは故郷のカンザスへ帰るため、かかしは脳みそを、きこりは心を、ライオンは勇気を手に入れるための冒険なのである。言ってしまえば、それは彼らがおのおのの欠落を埋めるための旅だった。
 とはいえ、その旅を追うにつれ、読者は釈然としない思いに駆られていくに違いない。名案を披露して幾度も一行のピンチを救うかかしに、本当に脳みそがないのか? うっかり踏みつけたカブト虫の死に涙するきこりに心がないのか? 皆を守るために怪物へ立ちむかうライオンのどこが臆病なのか?
 知恵とは何か。心とは何か。勇気とは何か。なんとしても帰りたいと少女が希求してやまない故郷とは何か。オズの世界は私たちに、形なきものについて思いをめぐらせよと迫る。そして、安易な答えは提示しない。だからこそ、子供心に抱いた違和感は永久に消えない種となって根付くのかもしれない。
 大人になって気づいたこともある。形なきものを尊ぶ一方で、形あるものを疑う作者のシニカルな視線だ。東西南北、どこの魔女も敵わないとされる偉大なるオズの正体。緑のメガネを外したドロシーたちの瞳に映るエメラルドの都。この二つに象徴されるように、本書には「蓋をあけてみれば意外とあっけない」エピソードが多々ちりばめられている。誰もが恐れる西の魔女がこんなにも簡単に溶けてしまうなんて! ドロシーをカンザスへ帰す手段がこれほど身近にあったなんて! 自らの目で見極めてみれば、難関の多くは人が言うほど大したものではない。先入観に囚われず、どんどん立ちむかい、どんどん薙ぎ倒して前へと進め! そんな作者の声が行間から響いてくるようである。
 どんどん薙ぎ倒さなければ一歩も先へ進めないほど、実際問題、オズの世界には多くの難敵が仕込まれている。カリダー。オオカミ。野性のカラス。黒蜂(ブラックビー)。巨大グモ。砲弾人間。これでもか、これでもかと襲い来る障害を乗りこえ、少女たちはオズの世界をずんずんと進む。欠落をバネにしたその大義なき軽やかなステップこそが、読者をとりこにする最大の魅力かもしれない。

 (もり・えと 作家)

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