書評
2012年9月号掲載
『赤猫異聞』刊行記念特集
スリリングな物語
――浅田次郎『赤猫異聞』
対象書籍名:『赤猫異聞』
対象著者:浅田次郎
対象書籍ISBN:978-4-10-101927-7
しかし、困ったね。この長編の美点について語ろうとすると、つい内容に触れてしまいそうになる。どんなことが書かれているかを知ることは読書の愉しみの一つでもあるので、それをここに紹介してしまっては興が削がれる。しかし内容にいっさい触れずに、この長編の読みどころを紹介することは出来るだろうか。
まあ、出来るところまではやってみよう。
時は明治元年暮れ、舞台は小伝馬町の牢屋敷。北風の吹く冬空に半鐘が渡るのが、このドラマの幕開けだ。しかも急を告げる早鐘の連打である。一人の牢屋同心が御米蔵の屋根に登って「いけません、いけません、柳原土手が燃えております」と報告する。柳原の土手といえば、伝馬町牢屋敷からわずか五、六丁。こうなると、「解き放ち」が俄然問題になる。本書から引く。
「たとえいかなる極悪人でも、火事で焼き殺すは余りに不憫というわけで、鎮火ののちはいつ幾日、どこそこに必ずや戻れと厳命して解き放つ。戻ってくれば罪一等を減じ、戻らぬ者は草の根分けても探し出して磔獄門、という次第になります」
というわけで、解き放たれた三人が本書の主役になる。まず、信州無宿の繁松。三十半ばの男だが、深川の賭場を仕切っていた博奕うちである。もう一人は、旗本の岩瀬七之丞。江戸市中の空屋敷に潜伏して官軍の兵隊を斬ってまわっていた二十三、四の青年だ。最後は、白魚のお仙。三十を過ぎた大年増で、夜鷹の元締めである。
「三人のうち一人でも戻らざれば、戻った者も死罪。刻限までに三人ともども戻れば、罪一等を減ずるのではなく、三名ともに無罪放免といたす」
戻れば無罪放免と言うけれど、官軍の兵隊を斬ってまわった七之丞を本当に無罪に出来るのかは疑わしい。だったら、三人ともに逃げてしまえばいいと思うところだが、一人も戻らぬ場合は、丸山小兵衛が腹を切ると言うから複雑だ。その丸山小兵衛とは囚人の側にたって上司とかけあう牢屋同心で、白魚のお仙はともかく、義理人情に厚い繁松なら、迷惑をかけたくないと思うのは当然だ。
はたしてこの三人は、鎮火報が鳴った日の暮れ六ツまでに戻ってくるのか。それとも戻らないのか。その二日間に、それぞれの身に何があったのかを描く長編だが、これ以上は何も書けない。
ここに紹介できるのは、周辺のことだけだ。たとえば、この「解き放ち」は、明暦三年の振袖火事から天保十五年六月まで、すなわち百八十余年の間に十一度しかなかったというから、そう頻繁にはなかったことになる。
「解き放ち」とはいっても、伝馬町牢屋敷の門前から、えいやっと放つわけではないことも本書から引いておきたい。
「まず囚人を浅草新寺町の善慶寺まで歩かせ、その境内にてかくかくしかじかと因果を含め、鎮火ののちはここに戻れと命じて放つのです」
これは、「もし牢屋敷の門前で解き放とうものなら、悪党どもはこれ幸いと火事場泥棒を働くに決まっている」からだという。こういうプチ情報がてんこもりなのである。
火事がやむと鎮火報と称する鐘が鳴り渡るが、これは勝手に撞いてはだめというくだりも興味深い。
「まず、御城の大手門と桜田門に踏ん張っておられる方角火消の御大名が、櫓や石垣の高みからご覧になって、およそ火の消えた旨を月番の御老中に報告する。次に御老中は公方様のご裁可を賜わって、上野のお山の寛永寺に使者を立つるのであります。で、寛永寺では畏まりまして、大仏堂の向かいにある時の鐘を、時刻にかかわらずゆっくりと撞く。これが鎮火報でございます」
明治元年という時代背景が本書のキモであることも最後に書いておきたい。幕府は崩壊したものの、新政府の体制は整わず、そういう時代に起きた「解き放ち」なのだ。激動の時代に自由になった彼らは、本当の自由を手に入れることが出来るのかどうか。
ここに書くことが出来るのは、とてもスリリングな物語であるということだけだ。あとは何の先入観もなく、たっぷりと堪能していただきたい。
(きたがみ・じろう 文芸評論家)