書評
2012年9月号掲載
『赤猫異聞』刊行記念特集
見返りを求めぬ愛を描く
――浅田次郎『赤猫異聞』
対象書籍名:『赤猫異聞』
対象著者:浅田次郎
対象書籍ISBN:978-4-10-101927-7
読み終えて一呼吸置いたところで、感動で全身が震える作品だ。明治八(一八七五)年に新制度の監獄ができるときに、旧伝馬町牢屋敷に関する文書を移管したが、幕府から維新政府への権力移行期の記録に空白があることが判明した。太政官が「後世司法ノ参考ト為ス」ため、内々に明治元(一八六八)年暮れの火事のときに、一時保釈された訳ありの三人の囚人に関する調査を命じた。「赤猫」とは犯罪者用語で放火犯や火事を指すが、〈伝馬町牢屋敷におきましては、火の手が迫った際の「解き放ち」をそう呼んで〉いた。
訳ありの三人は、夜鷹(路上売春婦)の頭目・白魚のお仙、博奕打ちの無宿人・繁松、官軍兵を暗殺した元旗本・岩瀬七之丞だ。この三人を「解き放ち」にあたって牢屋敷同心の丸山小兵衛が、「鎮火報を聞いたのちは、暮六ツまでにきっと立ち戻れ。おぬしらの命は一蓮托生と決した。すなわち、三人のうち一人でも戻らざれば、戻った者も死罪。刻限までに三人ともども戻れば、罪一等を減ずるのではなく、三名ともに無罪放免といたす」という条件を告げる。もし三人全員が指定された善慶寺に刻限までに戻らずに逃亡したらどうなるか。丸山と同僚の牢屋敷同心・杉浦正名が「さなる場合には、丸山小兵衛が腹を切るそうだ」と説明した。果たして三人は、刻限までに戻ってくるのであろうか。それとも逃亡に成功するのであろうか。真相が徐々に説き明かされ、読者は作品の世界に吸い込まれていく。
三人は、生き残った。白魚のお仙は、英国人の鉱山技師エイブラハム・コンノオトと結婚し、スウェイニイと改名した。彼女は司法省の役人に〈主人は北海道から帰るとじきに、ご奉公の年季が明けます。そののちはイギリスに戻って、母校のオクスフォードで教鞭を執ることになっておりますの。子供はおそらく、あちらで産むはこびとなりますわね。〉と供述した。繁松は、高島善右衛門と改名し、財閥と肩を並べる商社の社長になった。善右衛門は、〈私も遅ればせながら人の親になりやした。新学制のおかげで小学校に通っている倅と、その下に娘が二人でござんす。血の通ったおとっつぁんになって初めてわかったんですが、親は子供に何かしてくれなんて、思やしません。何をしてやれるんだろうかって、そればっかり考えます。/神さん仏さんの本音も、同しでござんしょう。できることなら何でもしてやりてえんだが、苦労はさせなきゃなりやせん。手取り足取り育てて、ぼんくらにしちまったんじゃあかわいそうだ。/だから、泣かれても知らん顔をしたり、ときには怒鳴りつけたり、尻を叩いたりもいたしやす。そうして、まっつぐに、真正直に育って、どうにもこうにもならなくなったときには、手を貸しやす。〉と供述した。経営者として生き残ることができる自助と自立の精神で子供を教育しているのだ。岩瀬七之丞は、軍人になった。フランスに留学し、現在は陸軍士官学校で教鞭を執る岩瀬忠勇少佐だ。岩瀬少佐は、〈生きていてよかった。/ただそれのみであります。命あったればこそ、こうして日本国のために、天下万民のために微力を尽くせるのでありますから。/生きていてよかった。/実に、わが感想はそれのみであります。よって士官生徒らにも、軍人は死に急ぐなかれ、生きて忠節を全うすることが本分であると、つねづね教え訓しております。〉と供述する。
お仙、繁松、七之丞は、「赤猫」騒ぎを通じて、死と復活を体験したのである。出家し禅寺(曹洞宗)の僧侶・湛月となった元牢屋敷同心・杉浦正名は、〈今もしばしば考えるのです。丸山小兵衛の戦とは何であったのか、と。/御家人の矜恃。いや、ちがう。/不浄役人として虐げられてきた侍の意地。それもちがう。/ぴたりと嵌まる答がない。/実はこのご訊問のはじめに、「後世司法ノ参考ト為ス」という理由をお聞きしたとき、ハッとしたのです。答はその一言に隠されているのではないか、と。/もしや丸山小兵衛は、人の知恵が人の世を律し、人が人を罰する御法というもののあるべきかたちを、みずからの命を抛って示さんとしたのではございますまいか。〉と供述した。小兵衛は、お仙、繁松、七之丞に対して、何の見返りも求めずに、一方的に誠実に対応する。この態度が三人の心に影響を与え、生きる力を与えたのだ。この力を愛と言い換えてもよい。『赤猫異聞』は愛を描いた小説なのである。
(さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)