書評・エッセイ

2012年9月号掲載

「謎とき」だけに留まらぬ、文学の戦慄

亀山郁夫『謎とき「悪霊」』

中村文則

対象書籍名:『謎とき「悪霊」』
対象著者:亀山郁夫
対象書籍ISBN:978-4-10-603713-9

 ドストエフスキーは、小説の登場人物の名や地名だけでなく、一見何気ないシーンの細部などにも、様々な暗号ともいうべき「仕掛け」をほどこす作家として知られている。
「仕掛け」を解いていくと全く別の意味や、二枚舌であったドストエフスキーの隠された真意とも思える事柄が立ち上がってくる。でもそれを知るにはロシア語だけでなく、ロシア土着の神々や民話、当時の政治・文化背景などに相当詳しくなければならず、日本語翻訳を読む一般読者の我々にわかるはずもなかった。新潮選書から出版された一連の「謎とき」シリーズはそのような我々にドストエフスキー作品の真の姿を暴き出してくれた名シリーズであり、僕も随分と参考にし、楽しませてもらったものだった。
 そして遂に亀山郁夫氏による『悪霊』の「謎とき」が登場した。同シリーズをある意味で継承するにあたって、これほど適任の人物はいないだろう。
 ドストエフスキーが残した「創作ノート」など膨大な資料に精通した著者がここに現すのは、作品が生まれる前の混沌から完成された『悪霊』へと溢れ出す、渦のようなダイナミズムである。
 スタヴローギンが登場した日を巡る謎、マリヤと「水の精」「マーフカ」伝承との繋がり、「スクヴォレーシニキ」に隠された真実、各登場人物の名に込められた意味、『ファウスト』との関連、子殺しの背景にある民話の存在など、読者にとって新しい事柄を現してくれる。
『悪霊』における登場人物達の多くが(ロシアから離れ、根無し草であるのを表現するため)正確なロシア語を使えない設定となっているのは有名であるが、著者はここにもまた新たな光を当てる。当時の革命家達の多くが卓越したロシア語使いであったこと、そして何より、ドストエフスキー自身がロシア語使いとして逸脱し、文体のニュートラル性から遠い地点にいた事実である。ドストエフスキーが自著に登場する「根無し草」達を見つめる眼差しには、これまで考えられていた解釈以上の混沌があったことが明らかにされていく。
 そしてこの著作は、「謎とき」だけに留まらない。
 スタヴローギンの暗黒に、著者は丁寧に、時に大胆に寄り添っていく。
「スタヴローギンの精神がすでに一つのサイクルを閉じていることが明らかになる。なぜなら、人間の感情はもはやそこから先には進みようがなく、永遠に堂々巡りを強いられるからである。憐れみと情欲が一つとなって輪が閉じられる」
 この文章の、純然たる文学の戦慄。実に見事である。
 章の間に「伝記」が挟まれる構成もありがたい。当時のドストエフスキーやアンナ夫人の姿が、面前に浮かび上がってくるようだ。

なかむら・ふみのり 作家)

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