書評

2012年10月号掲載

『「弱くても勝てます」』刊行記念特集

開成野球部のどでかいエンジン

――高橋秀実『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』

大越健介

対象書籍名:『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』
対象著者:高橋秀実
対象書籍ISBN:978-4-10-473804-5

「東大が六大学で優勝するより、開成が甲子園に出るほうが先になる可能性が高い」。開成、東大双方の野球部OBである男性が最後の方で語る言葉が、この本の結論のひとつになっている。開成出身ではないが東大野球部OBではある私にとって、耳の痛い話である。
 東京の開成高校と言えば日本最高峰の超進学校であり、野球部が帝京や国士舘といった強豪校がひしめく東東京大会を勝ち抜き、甲子園の切符を手にする可能性は限りなく小さい。一方、六大学のお荷物と陰口をたたかれる東大野球部のリーグ優勝もまた、然りである。
 そのあるかないかの可能性どうしを比べてみても詮ないことだと言われそうだが、そうではない。開成野球部には、小さな可能性を実現するかもしれないどでかいエンジンが備わっていると気づかされるのだ。それが、著者の高橋秀実(ひでみね)氏が紡ぎ出した本書の最大の魅力である。
 開成野球部を率いる青木秀憲(ひでのり)監督は、中堅どころのチーム相手に10対5で勝利した練習試合の結果が気に入らない。「これじゃまるで強いチームじゃないか!」と怒りまくる。「お前たちは打席で何してるんだ? 打席でヒット打とうとしている? それじゃダメなんだよ! 何がなんでもヒットじゃなくて、何がなんでも振るぞ! だろう」。
 ヒット狙いなどちゃんちゃらおかしい。青木監督が目指すのは、とにかく全力でバットを振りまくり、コールドで圧勝することのできる野球である。「激しいパンチを食らわせてドサクサに紛れて勝っちゃうんです」と監督は語る。安打を重ね、送りバントなどを駆使しながら得点を加えていく当たり前の野球では、強豪校に勝つのは無理だと考えている。
 しかしながら、開成の選手たちは当然のごとくひ弱である。野球部員の定番である坊主刈りにしている者すらほとんどいない。グラウンドに出れば「寸暇を惜しむようにのんびりする」のが習い性だ。
 加えて、何事も突き詰めて考える秀才たちだけに、チームをまとめるのも骨である。彼らの言葉もやたらと哲学的だったり迂遠だったり、逆に短絡的だったりする。妙に泰然としたある外野手は、そのポジションを希望した理由について「外野は涼しいんです」と、日陰でもないのに涼しい顔で答える。一方で、練習熱心なある部員は、「勉強があるから野球ができない、野球があるから勉強できない、とか言い訳したくないんです(中略)。だったら勉強をやめてしまおうと思ったんです」と、ドーンと論理を飛躍させる。
 しかし、そんな把握困難な部員たちに青木監督は体当たりで向き合う。「これをバカと言わずして何と言う、バカ」と罵声を浴びせたり、練習を「実験と研究」という言葉に置き換えて彼らの知的好奇心をくすぐったりしながら、超秀才集団たちに「ギャンブルを仕掛けなければ勝つ確率は0%」という意識を必死に植え付けていくのだ。
 著者もその試行錯誤に引き込まれるようにグラウンドに通い詰める。「空振りを繰り返しても得点には結びつかない。しかし不思議なことに空気を思い切り打ち続けることで、開成には勢いのようなものが充満してくるように感じられた」。この境地に達した時点で、どうやら著者はもう開成野球の虜となってしまったようだ。
 今夏の東東京大会。2試合を勝ち抜いた開成は、ベスト16入りをかけて強豪日大一高と対戦した。ところが、5回で0対10とリードされ、あっという間にコールド負けしてしまう。観戦した著者は憤慨する。ふがいない負け方をした開成野球部に対してではない。「ドサクサに紛れて25点取り返すのが開成野球。10点くらい取られたほうが彼らは火がつくわけで、今こそまさに絶好のチャンスではないか」と、無情のコールドゲームに怒るのだ。開成野球のスケールに、ルールの方がついて来られないと言いたげに。
 開成の青木監督は、群馬県立太田高校の出身。東大野球部の私の後輩である。監督業の傍ら、神宮で六大学野球の審判員も務めている。神宮で強いチームを間近に見続けることは、弱小校が付け入るスキを考えることにもつながっている。
 考えてみれば、勝負事のセオリーとは常に勝者の経験値の中から組み立てられてきた。つまりは、万年敗者が勝者のセオリーに従うことは、負けを繰り返すことにほかならない。敗者転じて勝者となるには新たなセオリーが必要であり、青木監督はまさにそれを実践していることになる。常識と言われるものに騙されていないか。立ち止まって考えさせられる本である。

(おおこし・けんすけ NHKニュースウオッチ9キャスター)

最新の書評

ページの先頭へ