インタビュー

2012年11月号掲載

刊行記念インタビュー

これまでにない「母と娘」を

『母性』

湊かなえ

これが書けたら、作家を辞めてもいい。その思いを込めて書き上げました――。入魂の書き下ろし長編『母性』を刊行されることになった湊かなえさんに、お話を伺いました。

対象書籍名:『母性』
対象著者:湊かなえ
対象書籍ISBN:978-4-10-126771-5

『母性』以前

 いつかは『母性』を書きたいとずっと思っていました。
 作家になれたら書きたいな、と思っていた話がふたつあって、ひとつが『贖罪』で、もうひとつが『母性』でした。
 自分から「こういう話が書きたいです」と言ったのも、その二作だけです。『贖罪』のときは、創ったプロットに「絶対に書かせてください」というお願いを一筆添えて、担当編集者に提出しました。『母性』は、書く前に「こういう話を書きたいと思っています。ぜひ書かせてください」という思いを込めたお手紙を書いて、担当者に出しました。自分から、こういう小説を書かせてください、と手紙まで書いたのは、初めての経験でした。
『告白』と『贖罪』を読んだ方から、母親像が印象に残ったという、こちらが意図していなかったご意見をいただいて、多くの人が「母親」という存在に興味があるのではないか、それならばやはり、母親とは一体何なのかについて考えなければならない、書きたいと思っていたあの話を書かなければいけない、そう感じていた頃がちょうど、依頼をいただいていた仕事に取り掛かれる時期だったんです。
 書き始めたのが、二〇一〇年の秋くらいですから、刊行まで二年かかったことになります。
 執筆の時間を確保するのは難しかったです。しかし、振り返ってみると、書き下ろしというかたちで書くことができて、よかったと思っています。書き進めているうちに、こうじゃないな、何かが足りないなと、描きたいと感じていることと、そのときに小説に描かれていることとの間にずれを感じたら、さかのぼって読み返し軌道修正することが自由にできましたし、連載で書いていたら、そうやって少しずつ手を入れながら進めていくことも難しかったでしょうから。

『母性』について

『母性』は、これを書きあげたら、作家を辞めてもいいと思いながら書いた作品です。そういう風に言うと、もうやる気がないのでは、と勘違いされるかもしれません。ですが、そういうわけではなく、その言葉でしか表現できないような「覚悟」を持って書きました、という意味なのです。十一冊目の本になりますが、この本で改めてもう一度デビューをする、それくらいの気持ちでいます。
 どうして『母性』のような話を書こうと感じたのかを説明するのはとても難しいのですが、あるときこう思ったんです。女性には「母」と「娘」の二種類いるのではないか。母になることができる女性と、娘であり続けたいと願う女性。いいかえれば、「母性」を自然に持っているような女性と、どうやっても手に入れられない女性。
 結婚して子供ができたら誰にでも自然に「母性」が芽生える、もっと強く言ってしまえば、女性であれば誰でも「母性」を持っている、と一般的に考えられているように思います。
 果たしてそうでしょうか。
 女性であれば誰でも「母」になれるのでしょうか。そもそも、形もなく目にも見えない「母性」は、本当に存在しているのでしょうか。
 直感的に、私は違うと思いました。誰もが「母性」を持ち、「母」になれるとは限らないのではないか。幸せな家庭で育ち、いつまでも愛するあのひとたちの子どものままでいたい、庇護され続けたい。「母」であるよりも「娘」であり続けたい、とどまり続けたい。そう思っている女性も、きっといるはずです。
 以前から、人生のある地点にとどまり続けている親の元に生まれ、育てられた子どもの話を書きたい、とも思っていました。父親と母親それぞれが、自分が幸せだった場所にとどまり続けている夫婦の子供は、どういう風に成長していくのかなと、関心があったんです。
 女性には二種類あるのではないかと思ったときに、そのふたつがつながりました。ずっと「娘」としてとどまり続けたいと思っている母親から生まれた子どもは、いったいどんな気持ちで成長していくのだろうか。
 そう考えると、「母性」のない母親の子どもとして生まれたがゆえに、逆に、母親の愛情を必要以上に求めてしまう、そんな娘の姿が浮かんできたんです。
「母性」を与えられるのが当然だと考え、事実、与えられているのであれば、愛情を娘の側から求める必要はありません。しかし、与えられない場合には、必要以上に求めたり、求めすぎることによって、母と娘の関係が噛みあわなくなったりもする。自分に悪いところがあるから、愛が与えられないのではないかと努力をし、求め、空回りしてしまう。「母性」を求める、という状態がもう、不幸の始まりなのではないか。ないものはない、と認めることができたら、どんなに楽だろうか。どんどん想像が広がっていきました。
「娘」であり続けたい「母」の側に関してもそうです。「母性」を持っていないかもしれないと思ったとしても、「私は『母性』を持っていないんですよ」と開き直ることができない。そして、「娘」にはまだ生じない問いも、投げかけられます。自分を産んでくれた人間と、自分が産んだ人間、いいかえれば、「母」と「娘」のどちらが、あなたにとって、大切なのか。
 育児ノイローゼに悩む母親とその娘の話、といったものとはまったく違う、これまでにない「母と娘」の小説ができあがったのではないか、と思っています。とにかく、読んでほしいです。前情報を入れずに、先入観なくお読みいただけると、とてもうれしい。私にとっては百パーセント自信を持って手放せる作品で、どういう評価をされるかが、あまり気になりません。書き切った、やり切った、と思っています。もし誰からも愛されなかったとしても、私が『母性』をすごく愛しているので、それだけでもう充分です。

『母性』以後

 脚本を書いた「高校入試」(フジテレビ系)が放送中です。私が関わったお仕事としては、地上波では初めての連続ドラマで、十二月にはシナリオ・ブックが角川書店から出る予定です。十一月三日から、『往復書簡』(幻冬舎)を原案にした映画「北のカナリアたち」も公開されます。それぞれテイストの違う作品なので、両方とも楽しんでいただければと思っています。
 来年には、文藝春秋から、「望郷」シリーズをまとめたものが単行本として刊行される予定です。
 脚本やドラマの原作など、いろいろな楽しみ方を経験させてもらえたので、今後は小説に集中して、仕事をしていくつもりです。私をこの世界に出してくれたのは小説だし、デビューしたあとに、出版社や書店さんや読者の方が後押しをしてくれたのでこうして仕事を続けられているわけですから、これからはこの場所で、がんばって働かないといけない、そう思っています。

 (みなと・かなえ 作家)

最新のインタビュー

ページの先頭へ