書評・エッセイ

2012年11月号掲載

思いと言葉は襷のように

――瀬尾まいこ『あと少し、もう少し』

三浦しをん

対象書籍名:『あと少し、もう少し』
対象著者:瀬尾まいこ
対象書籍ISBN:978-4-10-129773-6

 走ることを描く小説は、なぜこんなにも、ひとの本質に迫ることができるのだろう。
 市野中学校の男子生徒六名は、県大会出場を目指して駅伝に取り組む。陸上部部長の桝井、内気な設楽、桝井に憧れる後輩の俊介。それだけでは人数が足りないため、不良の大田、超然としたムードの渡部、明るくお調子者のジローに声をかけ、やっと成立した駅伝チームだ。さらに顧問は、競技に詳しくない美術の上原先生ときた。
 寄せ集め感満載の集団のうえに、大人でも子どもでもない微妙なお年ごろの中学生である。それぞれが見ている世界も、感じかたも、まるでちがう。一人で黙々と走りこみ、なおかつ力を合わせてひとつの目標に到達しなければならない駅伝など、成し遂げられそうにない。六人で襷を繋げて駆け抜ける十八キロが、とてつもなく長いものに思える。
 ところが、区間ごとに六人の走者の独白が重なっていくにつれ、私の胸はどんどん熱くなった。やる気ゼロの不良に見えた大田は、実は闘志と感じやすい心を抱えたひとだった。クールで言いたいことをズバズバ言う渡部は、実は優しく他者の機微に敏感だった。上原先生はボーッとしているようで、実はものすごく観察力に優れた導き手だった。かれらは「先生」と「生徒」でも、「大人」でも「子ども」でもない。一人一人、さまざまな思いや事情を宿す「人間」だった。
 語り手を変えて、同じ場面を繰り返し描写することで、物語や登場人物の相関関係に奥行きが増し、淡い光が積み重ねられ、陰影が濃くなっていく。すれちがいが生じているかのように見えた瞬間にも、だれかがだれかを気にかけ、ひっそりと、けれどたしかな理解と連帯を芽生えさせていたことが判明する。私はそこに希望を見た。
 私たちが生きる世界は、複雑さを秘めている。私が感じ、信じている世界は、あるひとにとっては真実ではない。だから、理解しあうのも、感覚や考えを分かちあうのも難しい。でも、そのずれにこそ、救いもあるのだ。私が絶望を感じているとき、同じ場所にいるだれかは、明るく未来を信じているかもしれない。そしてその明るさで、「そんなところでうずくまっていなくていいのだ」と、希望の世界へ引っぱりこんでくれるかもしれない。
 私たちは、だれもが一人だ。けれどその厳然とした事実と同等に、私たちはやはり、一人ではないのだ。一人きりでは到底走りきれないつらい道のりを、駅伝は襷を繋げて走り抜く。仲間や周囲の励ましの声を受け、孤独と連帯の狭間で苦闘しながら。
 だから、走ることを描いた本書は、ひとの本質に迫る展開を見せる。県大会出場という重圧を一身に背負い、弱音を吐かずに寄せ集めのメンバーを引っぱってきた部長の桝井。ところが本番当日になって、突然アンカーを任されてしまう(競技に関しては素人の、上原先生の鶴の一声で)。タイムは伸び悩んでいるのに、予定外の最終区間を走ることになり、桝井にますます重圧がのしかかる。はたして桝井は、ベストの走りを見せられるのか。市野中学校は県大会に出場できるのか。
 結末は、ぜひ読者それぞれの目で見届けてほしい。桝井以外の五人のメンバーの思いと言葉が繋がって、襷のように桝井に託されていくさまを。
 私たちは決して、決して、一人ではない。あなたがだれかを思うとき、だれかがあなたを思っている。必ず。そう信じて前進する姿は、なんと激しく崇高なのだろう。もし、そのがむしゃらな姿を嗤うひとがいるとしたら、そのひとは「生きる」ということを知らないのだ。
 走る少年たちを、かれらを見守るすべてのひとを、うつくしい山河が取り囲み、育んでいる。「青春小説の傑作」などと、安易な言葉は使いたくない。しかし、たしかに傑作と言うほかない作品だ。

 (みうら・しをん 作家)

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