書評・エッセイ

2012年11月号掲載

突き抜けたキャラクターに呆然慄然

――石岡琉衣『白き隣人』

東雅夫

対象書籍名:『白き隣人』
対象著者:石岡琉衣
対象書籍ISBN:978-4-10-332931-2

 こう見えてもワタクシ、いわゆるサイコ・ホラーと呼ばれるジャンルには滅法、点が辛い。
「やっぱり、いちばん怖いのは人間ですよね!」などと、したり顔で云われても、何を今さら当たり前のことを……としか思えないのである。
 恐怖という感情は、いかに身につまされるかの度合いに応じて、激しくもなり、弱まりもする。
 大多数の読者にとって、幽霊や妖怪や宇宙から飛来したエイリアンよりも、自分の身近にいる生身の人間が恐怖の対象として描かれるほうが、より痛切に身につまされるのは当然至極ではないか。しかも、そうしたアドバンテージに安易に寄りかかったり、おもねって書かれた小説は、これまた当然のように、概してつまらないし、なにより覇気がない。
 荒唐無稽なお化けの類を迫真の筆致で描き出し、現代の読者を戦慄させることこそが、ホラーの王道であり栄光なのだから、たとえサイコ・テーマであっても、思うさま突き抜けた、常人には想像も及ばないような暗黒を抱え持つ、化け物めいたキャラクターを追求してほしいと思うのである。あの『羊たちの沈黙』(トマス・ハリス著)や『黒い家』(貴志祐介著)のように。
 さて本書は、そんなサイコ・ホラーの小言幸兵衛(こごとこうべえ)みたいな私が読んでも十二分に惹きつけられ、途中で何度か「うわーッ、この展開でくるのかー!」と雄叫びを挙げることになった、妖しき企みに満ちた快作である。
 物語は、現代の東京で暮らす、ふたりの対照的な人物を交互に活写する二重構造で進められてゆく。
 ひとりは、フリーライターの杉宮遼子。一般社会から外れた若者たちの生態をルポする週刊誌の連載記事で、ようやく名前を知られるようになったが、ライター稼業の理想と現実との乖離(かいり)に焦りを感じており、エリート行員の恋人とも擦れちがいを自覚している。さらには、嫌味な古参記者と心ならずも大喧嘩をして、窮地に追い込まれる羽目に……。
 もうひとりは、画家志望の青年・鈴野兼好。『徒然草』の著者と同じ名前のため、「ケンコー」の通称で呼ばれている。抜けるように白い肌が印象的な、天然系にして草食系の優男で、話し相手と会話がまったく噛み合わないが、本人は一向に気にかけない風である。私生活は謎に包まれており、周囲の人々を巧みに煙に巻く一面もある。そんなケンコーくんに、積極的な関心を抱く娘があらわれて……。
 棲む世界も生き方も、なにひとつ共通点はないかと思われた両者の軌跡は、ある忌まわしい事件を仲立ちに、思いもよらぬ形で交錯し、複雑に絡まり合ってゆくのだった。
 本書を読みながら、しきりに連想された一枚の絵がある。十九世紀末から一九二〇年代にかけて特異な作品を遺したドイツの画家リヒアルト・ミューラー描く「ダビデとゴリアテ」だ。
 首を切断され草むらに横たわる巨漢の傍に全裸で佇立する痩躯(そうく)の若者。大剣を携え、返り血を浴びているにもかかわらず、端正な顔立ちは冷徹そのもので、口元には不敵な笑みすら浮かべているように見える。あたかも巨大な草食恐竜を倒した直後の小型肉食恐竜といった趣(おもむき)の冷血動物めく美貌が、薄気味悪くも鮮烈な印象だった。
 果たして、本書の後半で、鈴野青年をミケランジェロのダビデ像になぞらえるくだりが出てきたときには、さてこそ、と膝を叩いたものだ。
 肉を喰らうことに異様に執着する草食系男子――この卓抜なるキャラクターを思いついた時点で、本書の成功は八割方、決まっていたと云っても過言ではあるまい。
 平穏無事に見えた日常が、少しずつ歪み軋み、いつのまにか見覚えのない奇怪な光景に一変している……著者が入念にしつらえた恐怖の愉悦を、虚心に味わっていただきたい。

 (ひがし・まさお 文芸評論家・「幽」編集長)

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