書評・エッセイ

2012年11月号掲載

韓国の魑魅魍魎に挑んだ著者の執念

――菅野朋子『韓国窃盗ビジネスを追え 狙われる日本の「国宝」』

奥野修司

対象書籍名:『韓国窃盗ビジネスを追え 狙われる日本の「国宝」』
対象著者:菅野朋子
対象書籍ISBN:978-4-10-332961-9

「重要文化財」「韓国」「窃盗」というキーワードで、どんな物語が展開するのだろうと想像をめぐらしていたら、推理小説そこのけの面白さで、一気に読み終えてしまった。
 日本の重要文化財(重文)が韓国の窃盗団に盗まれた話は私の記憶にもあるが、その行方を追って、韓国と日本を行き来していた日本人がいたとは驚きである。それも古美術に詳しいわけでもない、ごく普通の女性ライターというのだから、考えただけでも危なそうでスリリングだ。
 兵庫県の鶴林寺から高麗仏画「阿弥陀三尊像」が盗まれたのは二〇〇二年。犯人の金国鎮は韓国で逮捕されて自供したが、「阿弥陀三尊像」はついに発見されなかった。
 著者はその行方を追う過程で一九九四年に長崎県壱岐島の安国寺から経典『高麗版大般若経』が盗まれたことを知る。その翌年、あろうことか、うりふたつの経典が韓国で国宝に指定されていたのだ。
 この二つを追うことで、日本から盗まれた他の重文や古美術品の行方もわかるのではないか。そう考えたのはいいが、魑魅魍魎の韓国古美術界で、ツテもなく盗品を探すのは容易ではなく、謎は深まるばかりだった。
 本書は、消えた重文を追うことが縦軸とするなら、その重文を巡って暗躍する男たちの駆け引きが横軸である。たとえば、盗まれた重文「阿弥陀三尊像」を鶴林寺に買い取れと要求してきた韓国人と、鶴林寺の住職との丁々発止の交渉シーンなど、まるで刑事ドラマを見ているかのようである。
 そのうえ、登場するのはいかにも胡散臭い人物ばかりなのだ。「阿弥陀三尊像」が最後にあったという韓国の寺の住職など、全身に入れ墨をした入道のような男で、著者が一人で立ち向かっているところを想像しただけでハラハラドキドキ。さらに、この盗品売買に古美術界の重鎮が深くかかわっているという凄まじい世界なのである。
 韓国では、日本にある高麗仏画は倭寇によって盗まれたと信じられていて、李氏朝鮮が仏教を弾圧したから海外に流出したとは決して考えない。だから日本から盗んできても「自国の文化財を取り戻した」と賞賛されるのだとか。もっとも、売れなければ盗んだ寺に買い取りを要求するのだから、笑ってしまう。所詮は泥棒なのである。
 物語が急展開するのは、取材を始めて六年経った二〇一一年。犯人の息子が建築資材の窃盗で逮捕されたことを新聞で知ったのだ。もっとも記事には、金国鎮の息子とはどこにも書かれていない。直感というべきか、ノンフィクションの取材は、こういう想像力がなければ前に進まないのである。
 息子の口から漏れた言葉によって、追いかけていた二つの重文が一つにつながる。鶴林寺の高麗仏画と安国寺の高麗経典のどちらも父親の犯行だったのだ。著者の奔走は、重文探しから金国鎮探しへ。そして、ついに彼の居所を突き止めるのである。それだけではない。圧巻なのは、二度も重文窃盗犯にインタビューを行っていることだ。著者の執念であろう。
 犯人が語った手口などは、ここであえて詳らかにしないが、それにしても、なぜ泥棒が表に顔を出す気になったのか。金国鎮は韓国古美術界で「金博士」と呼ばれる大泥棒だそうだが、自らの生い立ちを述べ、「日本では貴重な文化財を、価値もわからず蔵にしまい込んでいる」と日本批判までしているのは、泥棒の大義を明らかにしたかったからか。
 韓国窃盗ビジネスという非日常を描きながら、韓国人の民族性という日常が透かし模様のように読み取れるところが実にいい。さらには、ややもすれば感情的になりがちなこのテーマを、冷静に淡々と描いているところが、読む者に安心感を与えてくれる。
 本書を読み終えたとき、あれ? なんだか竹島問題とよく似ているなあ、と思うのは私だけではないだろう。

 (おくの・しゅうじ ジャーナリスト)

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