書評
2012年12月号掲載
第二十四回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作
虫愛づる君たちへ
――関俊介『絶対服従者(ワーカー)』
対象書籍名:『絶対服従者(ワーカー)』
対象著者:関俊介
対象書籍ISBN:978-4-10-333111-7
今年の夏の夜のこと、長野県にある別荘に、絶叫が響き渡った。さて、なにごとか! と台所へ駆けつけてみると、遊びにきていた親戚の男子(高校生)が震えている。坊やの指差した方角には、一匹のスズメバチが蠢いていた。
いや、別段刺されたわけではないらしいよ、ということでホッとしつつ、しかし、明日もういっぺん家の外を見回って、巣がないか確かめようと決意した。夏を過ぎると、彼らは確実に凶暴化するから、近寄ったら確かに危ない。
でも、そのとき、なんとなく「ハチにはハチの理由があるんだよね」と心の中でエクスキューズを出したのは、ちょうど本書を読み終わったばかりだったからだ。
本書は、今年の日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を射止めた作品であり、今年の目玉、というだけではなく、今後もきっと忘れられないことになるであろう逸品だった。
まず、タイトルがストレートで強烈だ。出だしはもっとセンセーショナルで、一頁めにはこんな一節がある。
「急激に変異したあいつらが戦後間もなくヒト社会に進出して、高度経済成長のいちばん下の土台を支えた」
あいつら、とは、虫のこと。歴史のどこかで、なにかが起こり、虫が突然変異し、ヒト社会に入り込んでいる、という設定。しかも、彼らは労働者としての位置づけだ。
主人公は、虫への取材などで生計をたてているフリーライター。世の中を斜に構えて見ている偽悪的な若者だが、あるとき労働者を生産するアリ工場という、とんでもない現場を見てしまう。もし、そのネタが暴露されたら大スキャンダルになる、というわけで、原データをめぐって過酷な争奪戦が開始される。
ヒトの欲望と暴力のおぞましさと、異質な生命たる虫の(とくにアリやハチの)生態系の描写が、これでもかという勢いで続くので、かわいいファンタジーというより、ホラーテイストも全開のハイテンション極まるお話だが、その向こう側には、生物進化をめぐる硬質の思考が存在し、時折ちらりと繊細な情愛が見える。読後の印象はけしておぞましいものではない。
ここで、虫、ということばを聴いただけで虫酸が走る方々には誠に申し訳ないことながら、本書が、煩い読書家たちをも満足させる、高潔なる傑作だ、と主張しておきたい。
というか、虫を扱った作品には意外にも傑作が多い。昆虫の世界は、それ自体が知的な驚きに満ちている、というのも、ファーブルの昆虫記でも証明済みだが、虫のなかでも社会を形成する蟻や蜂は、人類の文明のあり方を振り返らせるからだ。たとえば、かつてフランスの科学ジャーナリスト、ベルナール・ウェルベルが描いた長編SF『蟻』三部作。
それは、人類文明のお隣で、壮大な文明を営み続けてきた他の知的生命体たる蟻とヒトとのファースト・コンタクトを扱った話だった。蟻がいかに、文明といってふさわしいほどの複雑な社会と行動様式と多くの変種に恵まれているかが示されていた。本書は、そんなウェルベルの世界をさらに一歩すすめて、昆虫たちとヒトとが共存する社会を想定している。共存するからには、両者間には適度なコミュニケーションが成立しており、登場する虫たちもいっけん人間臭いと思えるかもしれない。しかし、そこはやはり虫たち。単に擬人化されて、ヒト社会における低賃金労働者の代理の姿としてでてくるわけでもない。ヒト社会が彼らに「ヒト社会の枠組み」を押し付けようとも、読めば読むほど、虫が、地球に居住する人類以外の異質な思考と異質な本能をもつ知的生き物だ、という存在感が圧倒的に迫ってくるのだ。ひょっとすると、人類が、他の知的生命体を求めてはそれに出会えず、孤独を噛み締めている、という身振りはあまりにも早計というか、傲慢ではないかしら、とすら思わせる。
『風の谷のナウシカ』ほど、虫を愛でることはないが、かといって夜中に絶叫するほど嫌ってもいない……つまりは虫のことなどふだんあまり意識せずに暮らしているわたしが、夜中に出会ったスズメバチを速攻で殺傷できず、ふとなにかためらい、せつないながらもあたたかい気持ちになったのは、本書のエピソードを思い出したからだろう。一読をおすすめしたい。
(こたに・まり 評論家)