書評

2012年12月号掲載

「原節子」と呼ばれた女の一生

――『新潮45特別編集 原節子のすべて』(新潮ムック)

石井妙子

対象書籍名:『新潮45特別編集 原節子のすべて』(新潮ムック)
対象書籍ISBN:978-4-10-790234-4

 懇意にしている新潮45のW編集者より、「原節子の別冊を作る事になったので評伝を担当して欲しい」と言われたのは、今年の初め頃のことだったと思う。
 いくつかの理由で戸惑ったことを憶えている。まず第一に、「なぜ、今、原節子なのか」。
 W編集者によると新潮45は昨年、まったく偶然に原節子が出演した、ごく初期のフィルムを入手し、それをDVDにし付録として発表した。すると、思った以上に読者からの反響が大きかったのだという。
「それで原節子には読者のニーズがあることを知ったわけです。実はまた東京国立近代美術館フィルムセンターにも所蔵されていない『七色の花』という原節子主演作品のフィルムを手に入れることができました。そのDVDをつけた別冊を作りたいのです」
 W編集者は、普段は殺人事件や深刻な社会問題などを手掛けている。また彼自身が映画狂、あるいは小津映画の信奉者、原節子ファンというわけでもなかった。
 そのWさんが、「読者のニーズがある」、というだけの理由で「原節子」を取り上げたいと思うものなのか、きっとそうではないのだろう。「原節子は『何か』を背負った存在である。取り上げるに値する人だ」という編集者としてのカン。それを刺激する何か。口では説明しきれない、その「何か」に突き動かされているのだろうと、説明を聞いていて思った。
 しかし、Wさんが映画ファンでないのと同様、私も映画に関しては門外漢だった。古い日本映画は好きで、小津や成瀬、木下恵介らの代表作は大体見ている。とはいえ、それは単に「見た」というだけのことで専門的な知識など持ち合わせてはいない。
 原節子の評伝は映画評論家の手により、すでに分厚いものが何冊か出ている。そういう方に頼む方がいいのではないかと問うたところ、W編集者はこう言うのだった。
「映画女優として見るのではなく、女性の一生として捉え、『原節子』を書いてみて下さい」
 それからは、ふたりで走った。
 可能な限りの資料を求め、親族に会いに行き(多くは取材拒否であったが)、所縁の土地を訪ね歩いた。地道な、ノンフィクションの手法をそのまま用いた作業だった。だが、調べるに従い、私は昭和の歴史がそのまま重なる彼女の生涯に惹かれ、あるいは、日本映画界の黎明期から、黄金期、衰退期に至るまで映画界と常に深く係わり続けた、この家の歴史を興味深く思い、次第に調べることにのめり込んでいった。
 数は少ないが原節子にはいくつかの手記とインタビュー記事がある。そこに残された言葉から彼女の思想や、ものの考え方を知り、共鳴を感じることも少なくなかった。
 やがて取材を重ねる中で、私たちはいくつかの新しい事実に突きあたった。だが、私には一貫して奇をてらったことを書きたいという気持ちも、また、今までに書かれていなかったことを書いてやろうというような気持ちも、まったくなかった。
 ただ、調べる中でわかったことを出来る限り正直に、淡々と書きたいと思った。彼女のスキャンダルを求める気持ちは私にはなく、また、そのように私の書いた今回の短い評伝が取り扱われることも望んではいない。
 原節子ともっとも深い関係にあった存在として私は義兄の熊谷久虎に注目した。熊谷は節子の姉の夫であり、つねに節子に寄り添い続けた。節子の外遊にも同行している。また戦争中、ふたりきりで暮らした時期があったことも今回の取材でわかった。だが、だからといって、彼を「恋人」と断定してよいのか。私は正直なところ、今もまだ掴みかね揺れている。この点ではW編集者とも意見が分かれた。できれば、読者の方、それぞれに考えて頂けたらと思う。
 なお、取材の中で、「原節子」と呼ばれた女性は今も元気で暮らしていることを知った。彼女だけでなく、ふたりのお姉さんもご健在だった。原家は戦争の影響もあり、寿命をまっとうできずに若死にされた方が多い。しかし、その分、残された家族には長寿が授けられたのであろうか。
 今回のムックが作られたきっかけは、幻のフィルム『七色の花』が発見されたことであった。その監督・春原政久の遺族を訪問したことから、原節子が義兄の熊谷とふたり春原邸の二階で暮らしていたという事実を知ったのだが、偶然の導きは他にも多く、何か道筋がつけられているように感じられることが度々あった。
 ここまで自分のことばかり話してしまったが、このムックには総勢二十数名の筆者が寄稿している。
 W編集者の考えで約半数が映画の専門家、半数がノンフィクション系の書き手で占められている。他にも、編集部がその編集力を生かして作った資料部分などがあり、非常に多角的な出来栄えとなっている。
 安直さとは無縁だ。どのページにも著者と編集者の思いが詰まっている。カラーページの発色もよく、デザインも美しい。他の本には載っていない原節子の写真も収められている。
 と、最後は何やら非常に宣伝めいてしまったが、できればお手に取っていただき、「原節子」という不世出の女優の一生に、ともに思いを馳せて頂けたら嬉しい。

 (いしい・たえこ ノンフィクション作家)

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