書評

2013年1月号掲載

贅沢な時間

――塩野七生『想いの軌跡』

大野英男

対象書籍名:『想いの軌跡』
対象著者:塩野七生
対象書籍ISBN:978-4-10-118143-1

 三十年以上前になるが、アメリカの大学院で量子エレクトロニクス(レーザー)の講義を受けて衝撃を受けた。研究が発展する上で数式が一つ一つ生き生きとした意味を持っていることがはっきりわかる。高度だけれどもわかりやすいのだ。日本ではどうしてこのように教えなかったのか、と恨みにさえ思った。大学で半導体や磁性体の先端研究に長年携わり、自分で講義をする身にもなって後から振り返ると、その教授は研究の歴史的な流れに参加もし、精通していたのだとわかる。整理され乾いた事実の積み重ねだけではなく、ましてや書物で学んで教えるのではなく、その背後にある考え方の変遷までを踏まえていた。研究のわくわくする最前線が学問として昇華していく過程を背景に講義をしていたのだ。大学院の講義とはそもそもそういうものなのだ。
 歴史の流れを、人の営みの積み重ねとして描写した塩野七生さんの著作と出会ったときも、同質の衝撃を受けた。仕事柄、研究成果を世界各地で講演し、また長期に滞在する機会もあって、アメリカやヨーロッパの友人たちの考え方や物事のやり方に触れてきた。いろいろ言われるが、移民や人種に対して総体的にアメリカはおおらかである。と言うよりも、人種も含めた多様性こそが、画期的研究や驚くようなイノベーションを生み出す源泉である、とアプリオリに信じているところがある。この確信は一体どこから来るのかずっと気にかかっていた。塩野さんが語った歴史の流れによって、彼らの確信が、キリスト教以前の古代ローマにさかのぼることができるものであり、古代ローマがロールモデルなのだと、初めて腑に落ちた。同時にアメリカの大学院で講義を受けたときと同じような気持ちになった。考え方の流れや背景がわかる、これがそもそも歴史を知る理由だったな、と。
 となると一体どうして千年、二千年を隔てたいま、古代ローマをはじめとする歴史を生き生きと物語ることができるのか、著者はどういう人なのだろうか、ということに興味が向かざるを得ない。学者の性とも言えるし、ファンの心理と言って頂いても良い。
 東北大学医学部同窓会が主催する東日本大震災復興プロジェクトの一環として、塩野七生さんを中心とした「瓦礫と大理石:廃墟と繁栄」鼎談会が開催されることになり、声がかかった。復興は人が再び集まることであり、そのためにも瓦礫処理の迅速さが求められる、古代ローマでは自然災害で滅んだ町はなく、人々が不要だと思ったところが滅んだ、と語る塩野さんは、深い思索に支えられた明晰な発言もさることながら、なにより素敵で自由であった。
 その後、ローマで塩野さんとお会いする機会を得た。宿泊先の古いホテル、暗いロビーから見える陽光が降り注ぐ通りに塩野さんが現れた。記憶に頼る不正確さを許していただくと、一緒に近くを歩いたり、食事をしたときの話題は次のようなものだった。防衛大学校のカリキュラムに必要な科目、プロの作家として朝仕事をし一日最低何枚書くと決めている(そういえば吉本隆明もプロの詩人は一日何作と決めて毎日書くのだと書いていた気がする)、ヨットをヒッチハイクして地中海を回った、地中海を愛したのでシチリア人との結婚までした、(カラヴァッジョの絵を見ながら)才能は純良な人柄に宿るとは限らない、(ムッソリーニ時代の建築に残された壁画の前で)稚拙で古代ローマに比べるべくもないが、大きな空間を使った建築は古代ローマを想像する一助となる、さらには、在イタリアの外交官の話やイタリアや日本で会った学者、外交官、政治家、経営者、編集者の横顔から、近くのなじみの酒屋さんで白ワインを立ち飲みしながらワインについてと、話は尽きることがなかった。
 多方面にわたる話題から浮き上がるのは、気候、食べ物、風物、そして歴史も含めて塩野さんが地中海を生きているということだった。だから乾いた学問や教科書になるまえの姿を、高度だけれど流れがわかる生き生きした物語として語れるのだ。
 塩野さんが長年にわたって書かれた文章を集めた『想いの軌跡』を、イタリアの白ワインを片手に読むと、ローマに行かずとも、塩野さんとの豊かな時間を過ごすことができる。こんな贅沢はない。

 (おおの・ひでお 東北大学電気通信研究所教授)

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