書評

2013年1月号掲載

力みなぎる新星の大仕掛け

――阿郷舜『桶狭間 天空の砦』

池上冬樹

対象書籍名:『桶狭間 天空の砦』
対象著者:阿郷舜
対象書籍ISBN:978-4-10-333211-4

 いやはや何と格調高い文章を書く作家だろう。こんなに見事な自然描写をする作家は実に久々なのではないか。新人なのにもう堂々たる風格すらたたえている。いまどきこんなに移ろい行く自然をみつめ、つややかに彩り豊かに描ききる作家は珍しいのではないか。
 雨の場面が多いけれど、そして雨といったら現代の時代小説の作家のなかでは雨を偏愛する北原亞以子の右にでる者はいないけれど(嘘だと思うなら北原亞以子の小説を読んでほしい。ほとんどいつも雨が降っている)、阿郷舜の雨も魅力的だ。北原亞以子の小説ではいつも市井の人々の思いが雨に託されているけれど、阿郷舜は生きる農民たちの嘆きと驚きと不安を荒々しく降る雨に投影させる。文章は格調高いけれど、決して美文を求めず、また調子を誇るわけでもなく、あくまでも天候や自然がつぶさに語られる。それが物語には不可欠だからだ。人物たちは天候と自然を読まなくては新たな展開、具体的には勝利をえられないからである。勝利とは何か? それは歴史的に有名な桶狭間の戦いの勝利である。
 物語は、尾張国愛智郡を旅していた吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)の修験者覚應(かくおう)が突然の大雨に見舞われる場面から始まる。
 豪雨のなか、広い原の向かいにある山陰から十数人の村人たちが走り出してきて、一軒家を倒しにかかるのだ。だが、若者が倒壊した家の下敷きになり、身動きがとれなくなる。覚應が機転をきかして指示をだして若者の救出に成功したとき、“蛇抜(じゃぬ)け”がやってきた。蛇抜けとは山津波のことで、丘陵と丘陵の狭間から薙ぎ倒された木々と土砂と藪が渾然となって流れてきた。家を倒したのはその通り道を確保するためだった。
 覚應は村人に感謝され、しばらく逗留することになる。そして戦いの構図と村人たちの素姓を少しずつ知るようになる。時は、永禄三年(一五六〇)三月初旬。その地で桶狭間の戦いが起きるのは、三カ月の後のことである。
 織田信長が今川義元との戦いに勝利し、戦国時代の大きな流れを作ったといっていい桶狭間の戦いを小説にする場合、多くは武将側からいかに戦ったのかが描かれる。最近文庫化された安部龍太郎の『蒼き信長』などでも生き生きと語られている。だが、桶狭間の戦いは謎に包まれている。勝者と敗者はわかっている。しかし戦いにおいて何があったのか、軍勢からいってもどうしようもなく不利だった織田信長が何故勝利をおさめることができたのか、それがもうひとつ判然としないのだ。謎がある。その謎に新人阿郷舜が挑んでいる。
 歴史的に判明しているのは、当時大雨が降ったことである。それが戦いを左右した。偶然のようにいわれているが、果たしてそうなのか。阿郷舜はサバイバルの知識を総動員して仮説をたてるのだ。これがまた大胆な発想である。奇想に近いかもしれない。そんなことが可能なのかと思うだろう。だが、読んでいると、まったくといっていいほど違和感がない。ごくごく普通のように、そうか、これが桶狭間の戦いの真相だったのか! と思ってしまう。もうそれ以外に考えられなくなる。いままで何故語られ、何故想像もされなかったのかと不思議に思うくらいに、独創的でありながら真実味があり、計画はおそろしく具体的で用意周到である。
 そのように真実味があるのは、作者の知識が豊富だからである。覚應は雲の動きを読みとり、水の流れを見つめ、土の質を見きわめ、花の種類とその咲き方を見逃さず、その土地の特性からどのように耕し、灌漑やため池、さらには村を作るかを想像する。そこにこそ戦いの土台がある。地形が防御として、攻撃として、何よりも罠として機能する一部始終がダイナミックに迫力たっぷりに描かれるのだ。
 もちろんそこには武将たちの夢もさまざまに交錯することを忘れてはならない。あでやかに残酷に、狂おしく無惨に夢をうつしとっているのだ。とりわけ“たまさかの夢。拾うた命”とうそぶく信長のなんと人間くさく恰好いいことか。
 凄い新人があらわれたものだと思う。力みなぎる新星だ。今度はどんな小説を書いてくれるのか楽しみでならない。

 (いけがみ・ふゆき 文芸評論家)

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