書評・エッセイ

2013年1月号掲載

限りある人生をどう生きるか

――ブロニー・ウェア『死ぬ瞬間の5つの後悔』

名越康文

対象書籍名:『死ぬ瞬間の5つの後悔』
対象著者:ブロニー・ウェア著/仁木めぐみ訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506391-7

 精神科医として他人と向き合うときの立場にも通じるものがあり、興味深く読みました。著者のブロニー・ウェアさんは、介護をしている患者さんの心を開くのが上手い。ヨガのインストラクターをしていたステラという女性の患者さんに、生きている意味を問われて答えます。「あなたがまだここにいるのは、きっと私のためなんです」と冗談めかして。献身的な姿勢もあるのでしょう。ステラはすっかり打ち解けて、ヨガや瞑想を、亡くなるまで丁寧に著者に教えていきます。
 自分が瞑想を習慣としているから言うわけではないですが、「自分の身体と相談する」「自分自身と対話する」ということは、気づかれていないけれどとても大事です。こう言うと哲学的に聞こえるかもしれませんが、素直に「自分の身体をどう動かすか、観察するか」なんです。野球なら、一球一球のボールにどう真摯に反応するか。瞑想とは、自分自身を少し距離を置いて考える目を養うこと、と言えるかもしれません。
 ウェアさんも同じです。自分の身体を見つめなおすからこそ、彼女はいつも手を抜かずに目の前のことにしかと対する。介護の患者さんをどう動かすか、どう気持ちよくしてあげるか、それが上手い。終末期の患者との関係を「一対一」と書いていますが、だからこそ自分に還っていくのでしょう。
 ただ、彼女は本書の終盤で、バーンアウトします。話の筋をバラしてしまいますが、深い鬱に陥ってしまう。介護に尽くしたがゆえに燃え尽きる。と同時に、介護で得た経験と知恵ゆえに彼女は再生していく。友達の支えもあり、立ち直りも案外とあっけないきっかけからなのですが、その経緯も面白い。この本の読みどころのひとつでしょう。
 彼女はいまや作詞や作曲を手がけ、舞台にも立つそうです。彼女のように、瞑想でも自然を眺めることでも手段は何であれ、自分なりに心を整えてすっきりさせておいたら、必ずチャンスはめぐってきます。たとえば、仏教ではうまくそれが伝えられています。般若心経を朝3回唱えることを習慣にしてみてください。1ヶ月もしたら、やりたいことややるべきことが見えてきます。6割の人は確実に変わります。これは別に信仰じゃない。それくらいぼくらの心は煤でくすんでしまっているんです。目の前のことをないがしろにしてしまっている。でも、この本はそうではない。すっきりと感じることを、まずはやってみる。そこから変わっていくんです。
 この本が「26カ国で翻訳される」と聞き、驚いたものの、大いに納得しました。世界中で読まれるのはわかる気がしたんです。世界は、グローバル・スタンダードやサイエンスの方向にどんどん専門化し、細分化されている。グローバル化の中で、精神的な生きる意味がないがしろにされ、限りある人生をどう生きるかの位置づけや目的は顧みられなくなってしまいました。人生を部分的に区切ってその全体を考えない。その上世界はますます流動化している。ついて行けない人が多いのは日本だけではないということです。その中でウェアさんは、長年の間に多くの患者の最期の後悔を聞き届けます。それを自分の人生に重ねて、得た知恵を活かしていくこの話は、だからこそ世界共通になるのです。
「身体からすべてに入る」ということも大きな要素でしょう。身体知の奥深さをよくわかっている。これは有史以来初めてのことではないでしょうか。身体知が人生を救うということがこれほど意識されているのは、そうないことです。
 5つの後悔(「自分に正直な人生を生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せをあきらめなければよかった」)は味わい深いですね。だれもお金のことは言わなかったというのもなるほど、と。ぼく自身は「働きすぎなければよかった」がぐさりと刺さりました。「自分に正直な人生を生きればよかった」というのも少しぐさりと。ただ、これも下手に自分を出さない方が周囲も含めて幸せかもしれません(笑)。人それぞれに後悔がある。それは一対一できちんと向き合ったからこそ、出てくる言葉なんです。

 (なこし・やすふみ 精神科医)

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