インタビュー

2013年2月号掲載

刊行記念インタビュー

鎮魂と再生のハードボイルド

『冬芽の人』

大沢在昌

捜査中の事故が元で相棒を亡くし、その責を負って刑事の職を辞した女。過去を封印してひっそりと暮らす彼女が、一人の若者と出会った時――終わったはずの事件が牙を剥く。味方も武器も持たない彼女は真相を暴き、失われた人生を取り戻せるのか。胸を熱くする極上エンタテインメント!

対象書籍名:『冬芽の人』
対象著者:大沢在昌
対象書籍ISBN:978-4-10-333351-7

急遽決まった連載

――『冬芽の人』は小説新潮で連載された作品ですが、どのようなきっかけで執筆されることになったのでしょうか。

 2009年も終わりに近づいた頃、翌年の執筆スケジュールを確認していた大沢オフィス(注・大沢氏のマネジメント会社)のスタッフから、「このままでは当社の収益に陰りが生じます」と脅されまして……(笑)。要はもっと仕事を増やせという意味で、急遽どこかの小説誌に連載をしなければならなくなりました。

 さて、どこにしようかと考えて、日頃懇意にしているB社、K社というのも頭に上がったんですが、K社は当時100周年企画に関わっていたので、連載もするとちょっと偏ってしまうな、と。B社はB社で諸々向こうの事情もあるだろうから、引き受けてくれないかもしれない。

 新潮社だったらすぐに頼めるのではないかと思って、こちらから「小説を連載させて下さいませんか」とお願いしました。

――電話を受けた担当者は降って湧いた僥倖に耳を疑った、と言っておりました……。こちらは当然、「ぜひお願いします!」ということになったわけです。

 2ヵ月後には連載開始ということに決まりました。勿論、その時点では全く何の準備もしていない状態でしたが。

 元々、取材嫌いということもあって、今回も事前取材には行っていません。取材に囚われると、話のダイナミズムが失われてしまうように思います。現実に縛られて展開が制限されるくらいなら、全て架空の土地を舞台にして好き勝手に話を動かした方が断然面白い。ただ、「新宿鮫」のようなシリーズ物では架空の土地を舞台にしづらいんです。だからこそ、単発の作品の場合は、出来る限り縛られずに書きたいと思っています。

 今回は東京で始まって、沖縄、福島と3つの土地が出てくるのですが、担当者がしつこく誘うので、連載も終盤に差し掛かってから福島へ取材に行きました。

 架空の村ではありますが、福島県の山奥がクライマックスの舞台です。実際その辺りへ行ってみたところ、想定していたものと大きく異なっていませんでしたが、追加で確認できたこともありました。

 想像以上に日照時間が少ないというのも、その一つです。山に遮られて日が当たらず米が育たないような場所だから、夜は真の闇が訪れる。これは使えると思いました。クライマックスでは闇の深さがポイントになるのですが、取材に行かなければ、ああいうシーンにはならなかったでしょうね。

――大沢さんの作品は都会を舞台にしているイメージが強いですが、今回、地方を舞台の一つにされたのには何か理由があるのでしょうか。

 あんまり言うとネタバレになっちゃうのですが、田舎の村社会的なものに少し憧れがあったんです。隣近所とも疎遠な都市部で育ったもので、田舎に帰るとほっとするという感覚が自分にはありません。実際に暮らしたら、縛られるうっとうしさも多分あるのでしょうが、田舎ならではの人間関係を書いてみたかった。

 でも、そういうテーマを物語のメインに持ってくるのは、すごく古臭い話になる危険もあります。横溝正史さんが活躍された時代とは違いますからね。現代を舞台にしていかにリアリティをもって物語を収斂させていくか、という課題は『冬芽の人』を書き始めた当初から頭にありました。

泣き虫なヒロインは作者に似てる!?

――地方が重要な舞台になっているのもそうですが、今回のヒロイン像も大沢作品の中ではかなり珍しいですよね。

 ここまで後ろ向きな女性主人公は初めて書きました。しずりは刑事でしたが、ある事件をきっかけに警察を辞め、今はOLをやっているという設定です。女性が主人公ということで言えば、『天使の牙』や「魔女」シリーズなどがありますが、今まではタフで戦闘的な女性を書いてきました。

 今回は未来への希望を捨て、心を閉ざして一人で生きているというこれまでにないキャラクター。色をなくしたモノクロームの世界で、一本の線のように生きると決心した女性が主人公のハードボイルドです。

 実は、彼女みたいな後ろ向きなヒロインを書くのはすごく楽しかった。きっと自分の中にも泣き虫で意気地なしがいるんでしょうね。普段は見せませんが、小さなことでうじうじ思い悩む部分だってある。明るくて空っぽなだけだったら小説家になんてならないですから。

 しずりも警察を辞めたものの過去に囚われて、誰とも関わらずに暮らしています。自宅と会社を往復するだけの日々で、みんなで安くて美味しいものを食べに行くとか、カラオケで歌うとか、普通のOLが楽しみにするようなことと全く縁を切っている。

 職場でも地味な存在で、自分を背景に溶け込ませるようにして働いています。同じく地味な同僚に誘われて飲みに行き、ようやく少し心を開いたかなと周囲に思われたりもしますが……。一方で、彼女は仕事上ではミスが少なく、上司にも信頼されている。女性に人気のある上司が彼女に目をかけていると知った時に、同僚のOLがやきもちを焼くという場面もあります。

――女性同士の微妙な距離感がとてもリアルで驚きました。どうしてここまで女性の心理が分かるのでしょう?

 それは30年にわたり、銀座、六本木で散財してきた成果です(笑)。就職した経験もないし、OLも身近にいないですが、ホステスさんはいっぱい知ってます。ホステスさんの中でも前に出たがる人、本当は前に出られるのにそうしない人と色々なタイプがいる。前に出ないのは、きっと余計な責任を負うのが嫌なんでしょうね。そんな姿も参考にして、あれこれ想像しながら会社で働く女性たちを書きました。

――しずりと岬人の出会いのシーンも女性主人公ならではの視点が印象的でした。

 全てに背を向けて生きていこうとしていたしずりが、自分よりずっと年下の岬人(さきと)に出会います。格好いい男は今まで沢山書いて来ましたが、そんな中で彼の魅力は少し分かりにくいかもしれません。

 しずりが惹かれるのは、彼の匂いなんです。初めて会った時に若者らしい爽やかな匂いをしずりは感じる。汗臭いとかではないですよ。その瞬間から彼女は恋をする運命だったと思うんです。健康的ないい匂いのする若い男の子に惹かれるという、女性の心理を想像して書いてみました。

 岬人との出会いで、しずりは動揺して自分の気持ちを押さえ込もうとします。自分に恋愛なんてありえないし、あってはいけないことだと思うんです。何より岬人は、彼女の人生を変えてしまった人間の息子ですから。

 岬人は彼女を葛藤させ、最後にしずりが自分の力で再生するための起爆剤として存在します。大事なのは自分の力でという部分。助けてもらうのではなく、しずりが自ら立ち上がらないといけないんです。

喪失と獲得の物語

――しずりは岬人との出会いを契機に、過去の事件の真相を追い始めます。前半の無気力な状態があったからこそ、彼女が昔の自分を取り戻していく様子に惹きつけられました。

 彼女の場合、「望まない、命の贈りもの」というあまりにも重たい宿命を背負っています。だから、人生をやり直すなんてあり得ないと自分で決めつけている。そんな女性が再生するためには、どれほどのことが必要なのか考えました。これはミステリーだから、当然事件を通して再生するという流れになるわけですが。

 実際、彼女のように自分の人生は終わっていると感じる人は少なくないと思います。人生の破綻は誰にでも起こりうることです。例えば離婚や転職で大事なものを全部失ったという気持ちになって、残りの人生はお釣りのようなものだと思う人もいるでしょう。

 だからこそ、全てを失ったところから再生する人間を描きたかった。喪失と獲得というのは物語の大きな主題になりますしね。物語には失って終わる物語もあるし、得て終わる物語もありますが、いい読後感を味わってもらいたいので私はどちらかというと後者が好きです。

 今回は、タイトルにもそんな想いを込めました。「冬芽」は寒い冬にずっと耐えて、冬が過ぎた時に花や葉に成長する芽のこと。『冬芽の人』は、一人の女性が試練を乗り越え、再び人生を芽吹かせる物語です。

 泣き虫で意気地なしのヒロインの鎮魂と再生のドラマを、長い冬の夜を過ごす時に、手にとっていただければ幸いです

 (おおさわ・ありまさ 作家)

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