書評
2013年2月号掲載
生命(いのち)をかたちづくる皮膚
傳田光洋『皮膚感覚と人間のこころ』
対象書籍名:『皮膚感覚と人間のこころ』
対象著者:傳田光洋
対象書籍ISBN:978-4-10-603722-1
以前パソコンで「ケラチノサイト」と打つたび、「毛拉致のサイト」と変換されていたことがある。苦笑しつつも傳田氏の著作を読んでいたので、あながち意味のない変換でもない、と、我がパソコンながらその都度少し尊敬したものだ(今は心得てちゃんと変換するようになり、助かるがあまり面白くない)。ケラチノサイトとは、表皮を構成する細胞の名称である。サルからヒトになる過程で、皮膚は毛を失くした。この喪失によってヒトが獲得したものは測り知れない、と傳田氏はいう。
「脳だけがこころをつくるのではない」
既に世に出た『皮膚は考える』『第三の脳』『賢い皮膚』を通し、氏は一貫してそのことを言い続けてきた。皮膚というものがただ単に内臓を格納しておく皮袋に留まらず、自己と環境との境界にあって、いかに闘い、感じ、考え、さまざまな情報伝達物質を放出してヒトの「気分」を決定するものであるかを。慎重な文脈のなかに、突如として現れる(一見)奇想天外な仮説が魅力であった。
この『皮膚感覚と人間のこころ』では、そういう「驚きの仮説」への検証が、膨大な文献の数々や研究報告を積み重ね、三島由紀夫や安部公房、ヴァレリーやリルケ等の文章も引きながら、丹念になされていく。論旨は力強く、有無をいわさぬ説得力がある。
科学技術に頼りっぱなしの現代、個々の意識を左右する情報は視覚や聴覚からのものが圧倒的に優勢に思えるが、「しかし、皮膚感覚は、私たちを強く揺さぶります。―略―性的な接触は強烈な快感をもたらし、逆に皮膚の痛みや痒みは、堪え難い不快をもたらします。―略―システムの中で生きる人間を、皮膚感覚は突然、個人に戻してしまうのです。……」そして皮膚感覚こそが自己と他者を区別し、さらにいえば「自己を生み出す」のだという、独自の見解に至る流れは圧巻である(皮膚感覚は個人を強く意識させるのに、自他の融合を目指しているはずの性的な接触――生命の誕生に直結している――に、その皮膚感覚が不可欠であるのは感慨深いことである)。
本書は、「高校時代の期末試験で、未だに忘れられない問題があります」と始まっている。どんな問題かは本書で確認していただくことにして、読み進めると、ときに個人的内面史とも思える記述に、著者が真っ向からこの著作と取り組んでいることが伝わってくる。皮膚科学最前線の情報にあふれた、すぐれて科学的な書でありながら、ラストの記述に再び現れる「高校時代の期末試験」に、著者の半生すべてが収斂されていくような感動は、かつて文学作品でしか得られなかった類のものであった。皮膚を論じて意識の在処、生命そのものが語られていたのだ。
(なしき・かほ 作家)