書評

2013年3月号掲載

博物館の男

――坂東眞砂子『隠された刻 Hidden Times』

坂東眞砂子

対象書籍名:『隠された刻 Hidden Times』
対象著者:坂東眞砂子
対象書籍ISBN:978-4-10-414706-9

 南太平洋にある島国バヌアツに、伝統的な砂絵があると聞いたのは、この地に暮らしはじめて二年ほど過ぎた頃だった。首都ポートビラの日系ホテル『ザ・メラネシアン』のマネージャー、ヒロくんが教えてくれたのだが、何事も単純化して考える彼の話だけに、ただ砂絵がある、というだけで要領を得ない。文字の発生しなかったバヌアツでは意思伝達の手段でもあり、世界遺産にもなったということだけわかった。
「砂絵を見たいなら、毎朝、博物館で実演をしてるんで、行ってみたらいいですよ」といわれて、ある日、訪れてみた。
 ポートビラの国立博物館は、一度行ったことがあった。素朴な白い二階建ての建物の中に、カヌーや棍棒や弓、民族楽器などがぽつぽつと展示されているだけの資料館に毛が生えたような施設だ。なのに八百バツ(約八百円)という理不尽な入館料を取る。
 窓口で、砂絵の実演をしているかと訊くと、まだ朝九時くらいなのに、もう終わったという。玄関から中を覗くと、入場者の姿は見あたらない。終わったのではなくて、見学者が誰もいないので、やらなかっただけではないかと疑った。南の島の人々は、些細な嘘を平気でつく。
「砂絵を見るために、わざわざ来たのに」と文句をいっていると、あっさり、では特別に実演するといってくれた。
 砂絵見学だけだからと、入館料を五百バツに値切り、中に入った。
 エントランスホール兼展示室というような薄暗い空間で待っていると、短パンにTシャツの腹の出た男が現れた。博物館の雑用係ではないかと思うような雰囲気だ。実際、日常の仕事はそんなもので、砂絵の実演もやっているというところなのかもしれない。
 彼は気軽な調子で砂の入った四角い浅枠の箱を床に置いて、その前に座りこんだ。バヌアツの砂絵は、色々なことを伝えるために発達してきたというような説明を簡単にしてから、「まずは、これが一だ」と人差し指で、円を縦横二個ずつ、合計四個が重なるように一筆描きで描いた。一を示すにしては、ずいぶんと大仰である。
「これが二」
 今度は円は縦横三個、合計九個だ。
 円が四個で一ならば、二は八個になるはずだ。数学的整合性はないらしい。
 三は、一と二を足したもので、四は二と同じ図象だという。すると、五はやはり三と同じということになる。
「二というのは、夫婦だ。夫婦はすべての元になるものだ。だから大勢、たくさんも意味する」
 男は宇宙の真理を語るように厳かにいった。つまり、砂絵の数は、一と二しかないということか。私はぽかんとしてしまった。
 男はそれから、パンの実や鳥といった簡単な砂絵を描いてから、横に置いてあった木の笛を手にして吹きはじめた。
「バヌアツでは音にも色々な意味がある」と説明して、悪霊を追い払う音とか、女性に恋を打ち明ける音とかを出してくれた。深い森の中で聞こえてきたら、風情があるだろうなと思わせる音の響きで、それぞれひとつの異なった短いメロディになっていた。
 ここにあるのは、言葉に頼ることのない、コミュニケーション手段だ。そのことの意味がじわじわと滲みこんでくると、脳を覆っていた薄皮がぺりぺりと剥がれていくような気分に襲われた。
 ある人に、好きだ、と伝えたい時、私たちは「好きだ」と言葉や文字で表明する。好きであるという気持ちをそぶりを示すことはあっても、その動作は共通のコミュニケーション手段として認識されていないので、独りよがりの意思表明にしかならない。しかし、ここでは絵なり音なりが、言語の代わりにちゃんと意味を持って存在しているのだ。
 その後、バヌアツの砂絵について調べてみると、亀や魚や鳥といった単純な絵柄だけでなく、愛や尊敬などという心の内を示す意味の砂絵も多くあることを知った。それらは日常生活において、口でうまく表すことの難しい心情である。
 もしかしたら、バヌアツ人にとって、言葉とは、飴細工のように、嘘でも何でも平気でつらつら形造ることのできる、変幻自在な道具に過ぎないのかもしれない。それは便利だけど、信頼できないのだ。だからほんとうに伝えなくてはならない心情は、言葉にはせずに、絵や音で伝達する。だとしたら、ある意味、賢い文化ではないかと感心したものだった。

 笛を吹き終えた博物館の男は、砂を片づけながら、「ヒドン・タイムズには、もっとたくさんの調べがあったが、今は少なくなった」と呟いた。
「ヒドン・タイムズとは何なのですか」
 その言葉に魅力を感じて、私は訊いた。
「キリスト教が入ってくる前の時代だ」
 私が要領を得ない顔をしているのに気がついて、男はあたりを憚るように囁いた。
「俺たちが人を喰っていた時代だよ」
 突然、人気のない薄暗い博物館のホールに展示されている荒削りの棍棒やカヌー、弓矢といったものが、活き活きとした存在感を放ちはじめた。それは私の中で、砂絵とヒドン・タイムズという言葉の結びついた物語が産声をあげた時でもあった。

 (ばんどう・まさこ 作家)

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