書評
2013年3月号掲載
『双頭の船』刊行記念特集
遠い霧笛
――池澤夏樹『双頭の船』
対象書籍名:『双頭の船』
対象著者:池澤夏樹
対象書籍ISBN:978-4-10-375308-7
春の熊のように、むっくりと、物語が起き出す。白いワゴンの荷台から解き放たれ、森の奥へ走りこむ。それは幕開きで、気がついてあたりを見まわしてみると、わたしたちは、おだやかに凪いだ海の上にいる。
ちゃふ、ちゃふ、と舷側をくすぐる小波の音。もともとは、湾のなかをUターンせず行き来するため、前後を対称に作られた双頭の船「しまなみ8」は、港から港へ、太平洋岸を飛び飛びに伝い、北の海をめざしていく。途中、廃棄された自転車と手ぶらの人たちを大量に積みこみながら。やがて船は、多くの土地が黒い波に引きはがされた海岸に着く。手ぶらの人たちは、壊れてしまった土地へ散っていき、自転車は船内で修理され、すべてを失った海辺の住人たちに配られる。
車輌甲板には、食堂がある。陸のひとも入りにこられる浴場もできる。居酒屋ができ、屋台ができ、スターバックスまでできる。船のなかに社会が、生活がうまれる。甲板に家々がならび、陸の家を失ったひとびとが海の上に移ってくる。船が「まち」になる。
「変なことが起こる」「魔法の船」。こどもたちは光を振りまきながら甲板を遊びまわる。その光のなかには、ふつうの目では、ふだんみえないものが、自然に浮きあがってくるだろう。「ヴェット」と名乗る男が、道いっぱいの犬、猫をあとに従え、甲板にのぼってくる。銀色のオオカミが悠然と船内を闊歩し、半透明の犬がひとと語らう。
双頭の船のなかには、さまざまなことを、早く、自然に、そのようにしむける力が、深層海流のように働いている。ふだんの目にはみえなくなってしまった相手でも、声はきこえるし、手をつなぐこともできる。「こちら」と「あちら」のあいだの水の上を、船はたゆたう。動物とひとと。海と陸と。日向と暗がりと。過去と未来と。
みな、自分を支えてくれるはずの「陸」が容赦なく揺れ、「海」がすべてをさらっていった、それぞれの世界を生きている。双頭の船は、「陸」と「海」を循環しながら、両方を溶け合わせ、焦ることなく、ゆっくりと鎮めていく。乗船したひとびとの、かたくなな「生」をほどき、遠くから射してくる、おだやかな白光のもとにさらす。双つの頭はちょうどよく、どちら側をも見わたしている。
「この子はもう別の世界に行っていなければならなくて、でも旅立つ勇気がなくてこっち側をうろうろしていた」
犬の肩を叩きながらヴェットはいう。
「野生の動物ならばみんな自分で納得して旅立つんだけど、人間に飼われていた動物はもうそのやりかたを忘れているんだ。だから少しだけ手助けがいる」
ましてや、愛する海によって、この世からひきはがされてしまった人間はどうか。
別れの声もなしに、愛する相手を、黒い手でもっていかれたものたちはどうなのか。
盆踊りの夜、白光のなかに見え隠れするひとびとに、「あちら」からやってきた音楽家が語りかける。
「ちゃんと向こう側に行きましょう。こっちに気持ちいっぱい残っているのはわかる。でもやっぱり行かなければならない」
そうして「音楽」がはじまる。ひとびとが濡れた足で海を歩いていくとき、船の甲板から、「うた」が呼びかける。「詩」が。「おどり」が。「祈り」が。残ったひとびとはゆっくりと手を振りながら、光の涙を流し、遠のいていくひとびとの名を、遠い霧笛のような声で呼ばわる。
小説自体が生き物だ。ページを開けばわたしたちはいつでも、霧のむこうに渡っていったひとたちと、ささやかな声を交わしあうことができる。あの日のあと、この土地に数多く、神話の種がまかれた。芽吹きがあり、最初の一輪がこうして生まれた。熊や犬、半透明のけものたちが暗い森の奥からあらわれ、親しいその匂いをそっと嗅ぎにくる。
(いしい・しんじ 作家)