書評・エッセイ

2013年3月号掲載

《沈黙の代償》は高くつく

――真山仁『黙示』

西上心太

対象書籍名:『黙示』
対象著者:真山仁
対象書籍ISBN:978-4-10-139052-9

 永井するみの『枯れ蔵』や服部真澄の『GMO』など、数は少ないけれども農業問題をテーマにした先行作品は存在する。しかし常にグローバルな視点を取り入れ、日本の「農業と食」が抱える諸問題と正面から切り結んだエンターテインメントは、真山仁の登場を待たねばならなかったのではないか。
 静岡県の茶畑で養蜂教室が開かれていたところへ、稲に農薬を散布中のラジコンヘリが操縦ミスによって飛来し、参加者たちに高濃度の農薬を浴びせてしまう事故が起きた。教室の講師を務めていた養蜂家で元報道カメラマンの代田悠介も被害を受けながら一部始終を記録する。その農薬は大手農薬メーカー大泉農創が開発した、ネオニコチノイド系の稲の害虫駆除剤〈ピンポイント〉だった。皮肉にも重篤になった子供の父親である平井宣顕は、大泉農創の研究者でピンポイントを開発した中心人物だった。被害者の親として現地入りした平井のアドバイスにより、適切な処置がなされたため、被害者は大事に至らず回復に向かうことができた。適正な使用方法さえ守れば安全という製品に対する自信と、農薬こそが日本の食生活を支えているという確信に揺らぎはないが、息子を傷つけたという事実に平井は割り切れない思いを抱く。
 また代田悠介にとってこの農薬は天敵に等しい存在だった。有機リン系農薬より《安全》というネオニコチノイド系農薬に代わってから、蜂が大量に行方不明になる事態が続いていたのだ。代田は数年前からこの事実を訴えていたのだが、それが広く取り上げられることはなかった。
 一方、農林水産省のキャリア官僚である秋田一恵はそれまでの食料戦略室が移行する、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定批准後に日本農業はどうあるべきかを研究する大臣直轄特命チームの補佐役に任命される。
 事件後、平井は企業の社会的責任を推進するCSR推進室長を命じられる。また代田は農薬の危険に警鐘を鳴らす人物としてテレビ番組に出演するなど事件の中心人物となっていく。そして秋田一恵は、ある国会議員が国内では拒否反応が強い遺伝子組み換え作物の推進を計っていることを知る。こうして一つの農薬曝露事件がきっかけとなり、三人の運命は交錯していくのだった。
 同じ作者の短編集『プライド』にも注目してほしい。収録された六編(文庫版には掌編一編が追加)のうち四編が農業と食に関わる作品なのだ。そしてその中の「一俵の重み」には秋田一恵が、「ミツバチが消えた夏」には代田悠介がすでに登場して、本書と関わりのある問題と取り組んでいるのである。この傑作短編集で馴染みとなったキャラクターがスケールアップした長編小説に再登場して互いに意見を交わしながら、明日の農業を考えていくのはファンとして実に嬉しい。
 特に「一俵の重み」で強烈な印象を与えてくれたのが一恵の上司の米野太郎だった。本書では脇役にまわっているが、彼のモットーである「物事を二極化して、対立構図で考えるのは愚行だよ。そもそも反対や否定からは、何にも生まれないだろ」という言葉こそ、本書のキーワードであり日本の農政に必要な姿勢なのである。
 養蜂家、農薬開発者、農政官僚。立場が異なる三人が、それぞれの見地から意見を述べ、互いの考えをすり合わせていく。
 一方的な批判と対立だけでは、米野の言葉通りなにも生みださない。本書は日本の現況を見すえながら、決して暗いだけではない明日の農業と農政のあり方を提示してくれる。本書の連載時のタイトルが『沈黙の代償』であったことは象徴的だ。この問題に無関心であってはならない、《沈黙の代償》は高くつく。国民の無関心への警鐘と目的意識の喚起。その思いが誰もが楽しく読める本書の中に込められているのだ。

 (にしがみ・しんた 文芸評論家)

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