書評

2013年3月号掲載

「勉強になって面白い」の何が悪いのか

小谷野敦『日本人のための世界史入門』

小谷野敦

対象書籍名:『日本人のための世界史入門』
対象著者:小谷野敦
対象書籍ISBN:978-4-10-610506-7

 受験勉強というのは、いいものだ。
 そんなことを書くと、目をむく人がいるかもしれない。しかし、大学に受かろうという動機があって、懸命に勉強するから、さまざまな知識が詰め込まれるので、これがなかったら、歴史も数学も物理・化学も、ちゃんと身につかないだろうと思う。まあ私など、数学、物理などほとんど忘れてしまったが、やはりかすかには残っているから、少し復習すれば何となく思い出す。
 だが、それはお前が受験で成功した人間だからそんなことを言うんだ、つらい思いをして勉強して、行きたい大学に行けなかった人間もいるのだ、と言われるかもしれない。久米正雄の『学生時代』に入っている「受験生の手記」は、受験に失敗し失恋もして自殺する学生の話である。もっとも久米自身は、当時の受験競争を緩和するための推薦制度によって東大へ行っているから、自分では大学受験はしていない。
 しかるにスポーツであれば、たとえ優勝できなくても、鍛練の成果が人間としての成長をもたらす、決して無駄ではない、といったことが言われる。誰も、高校野球は競争である、けしからんとは言わない。音楽とか書道でも、大成しなかったから無駄なのだとは言わない。受験競争の勝者は社会の上層部を占めるからいかんのか。それは、受験勉強が悪いわけではあるまい。
 この本を書きながら、私はしかし、高校ではなく予備校で教わった世界史を思い出していた。ノート兼用に作られた教科書の、右側のページが白紙になっていて、みなそこに懸命に書き込みをしていた。教師は大岡というアフリカ史専門の人で、予備校でしばしばあることだが、高校の授業とはひと味もふた味も違う、面白い授業を聴かせてくれた。考えてみたら、私の「受験勉強」についての、懐かしいという印象は、予備校へ行ったせいかもしれない。
「史観」とか、イデオロギー的な歴史の扱い方とかを、私はあまりしない。歴史は単純に一種の物語として楽しめばいいと思っている。最近は、歴史もの映画で、当時の情景を巧みに再現しているものも多く、勉強にもなるし、学んでから観ればさらに面白い。落語についても書いたことだが、勉強になって面白い、というのはいいことである。勉強になるということを軽蔑するのは、世紀末藝術あたりの悪い影響でもあろうか。それにしても私は、フランス革命の歴史は好きなのだが、ロシヤ革命のほうはちっとも面白くない。これはマルクス主義の内紛のようなものに関心がないからだが、人それぞれ、面白がる部分が違うのは自然なことだろう。ともあれ、「カノッサの屈辱」とか、「サン=バルテルミの虐殺」とかいった事件の名前を聞くだけでも私などはわくわくするのだが、そんな感覚で歴史を楽しむ、手びきのような本になっていたらいいと思う。

 (こやの・あつし 作家・評論家)

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