書評
2013年4月号掲載
薬草袋の効用
――梨木香歩『鳥と雲と薬草袋』
対象書籍名:『鳥と雲と薬草袋』
対象著者:梨木香歩
対象書籍ISBN:978-4-10-429908-9
読み始める前から、そして、読み終えてしばらくしても「薬草袋」という言葉から漂うほのかな香りに陶然となる。
「薬草袋」とは、梨木さんが旅行鞄に忍ばせている「ごちゃごちゃ袋」のことで、常備薬、乾燥したハーブのブーケ、そして、旅の途上で控えたメモなどがおさまっている。
その袋、ぜひ欲しい、と思ったあなた(かく言う自分も即座に喉から手が出かかったのだが)、この一冊がそのまま「薬草袋」の代わりを果たしてくれます。
目次をひらくと「鶴見」「京北(けいほく)町」「日向(ひゅうが)」「善知鳥(うとう)峠」といった日本の地名が並び、その地名をめぐる短い文章が連なっている。「葉篇集」と著者は呼んでいるが、掌篇ではなく葉篇という聞き慣れない言葉を選んでいるのが、お名前に二本の木が並んでいる梨木さんらしい。
人の名前がそうであるように、土地の名前にも木が並んでいたり、雲が浮かんでいたり、鳥が飛んでいたりする。
「地名とは歴史の厚みや地勢的な経験が凝縮されたシンボリックな記号である」と梨木さんは書いている。この一文をさかさまに解いてゆけば、記号を手にして、実際にその土地へおもむいて歩き、歩いた自分の体の中に、かつてその土地に生きた人々が見たもの聞いたものを呼び戻す。そうした体験を促すものが地名の正体かもしれない。
梨木さんは、記号として二文字、三文字に凝縮された漢字をひらいてゆく。ときに、漢字を分解し、あるいは、仮名にひらいて、その音に耳をかたむける。その腑分けと聞きとりの適確さ、そして、その先に浮かびあがる地名に宿された風景や人の思いの彩り豊かなこと。
たとえば、宮崎県に「新田原」と書いて「にゅうたばる」と読む地名がある。
「新、と書いて、にゅうと読ませるなんて、英語の new を思わせ、斬新な名まえのように思っていたら、付近は新田(にゅうた)という、鎌倉期から記録に出てくる、由緒ある地名なのだった」
「宮崎には、なぜか子音に yuu と続ける土地名が多い」
「古代、使われていた言葉の発音は、今の日本語のようにかっちりしたものではなく、もっと風の吹く音のような、小鳥のさえずりのようなものだったのではないかと思うと、そういう言葉が飛び交う日常を想像して楽しい。恋人同士のささやきが優しいのは言うに及ばず、路上でおしゃべりする声、母親が子どもを寝かしつける声、叱る声さえ、鳥の声のように流れていく」
文字から起こされた情景は、音をともなってのびのびとひろがってゆく。それは、展開される推論が断定的ではなく、文字に遊びながらも「文字のない世界に憧れる」と書かれるおおらかさにある。文末が、たびたび「だろうか」「だそうだ」「らしい」と結ばれ、学術的な結論ではなく、囲炉裏端で旅人の問わず語りを聞くような安らぎがある。
ページのところどころに顔を出す小さな鳥のイラストも、旅人の快い語りに魅かれてあらわれたかのようだ。
とはいえ、この本におさめられた四十九の地名が示す場所は、いずれも梨木さんが、かつて住んでいたところ、もしくは、旅したところである。見ること聞くことは、写真や映像を通して擬似的に体験できるかもしれないが、「薬草袋」におさめられたハーブの「香り」は、それぞれの土地から持ち帰るより他ない。自分の足で歩いて見つけてきた香りがこの本にはしっかり封じ込められている。先の記号をひらく方法に倣うなら、梨木さんのファースト・ネームは「歩いて香りを持ち帰る人」の意であるかもしれない。
読み始めてすぐに、あたらしい地図を買いたくなり、「通る人がなくなると、道は消える」「歩かなければ」という著者のつぶやきを読んで、旅に出ようと思い決める。旅行鞄の中であたらしい地図とこの本を重ねれば、きっとそこにいくつもの時間が重ねられて、「薬草袋」が香り立つ。
効き目は保証済みである。
(よしだ・あつひろ 作家)