書評

2013年4月号掲載

「最悪のシナリオ」という想像力

――財団法人 日本再建イニシアティブ『日本最悪のシナリオ 9つの死角』

船橋洋一

対象書籍名:『日本最悪のシナリオ 9つの死角』
対象著者:財団法人 日本再建イニシアティブ
対象書籍ISBN:978-4-10-333731-7

 東京電力福島第一原発事故の危機のさなか、菅直人首相は「最悪のシナリオ」の作成を近藤駿介原子力委員長に極秘に指示した。
「不測事態シナリオの素描」とのタイトルのつけられたそのシナリオは三日後、出来上がった。
 そこでは、すべての燃料プールが損壊し、コアコンクリート相互作用が起こった場合、「強制移転を求めるべき地域が一七〇キロ以遠」、「移転希望を認めるべき地域が二五〇キロ以遠」との「評価結果」を示していた。これだと首都圏が入ってくる。
 そうなった場合、福島原発危機は、首都防衛戦へと劇的に性格を変えることになるだろう。
 現実には、そこまでの不測事態にならずに済んだ。
 日本政府が日本の国家的危機に直面し、「最悪のシナリオ」を作成したのは戦後、この時が初めてだった。この「最悪のシナリオ」については、独立系シンクタンクである「日本再建イニシアティブ」がプロデュースした福島原発事故独立検証委員会(民間事故調=北澤宏一委員長)がそれを入手し、その調査・検証報告書の巻末に収録したことから広く知られるようになった。
 この調査を進めるうちに、「最悪のシナリオ」への関心が募った。日本にはほかにも「最悪のシナリオ」をつくらなければならない潜在的な国家的危機があるはずだ。
 このほど「日本再建イニシアティブ」が新潮社から出版した『日本最悪のシナリオ 9つの死角』はこうした思いから、九つの危機の「最悪のシナリオ」を描いたものだ。
「最悪のシナリオ」のパラドックスは、最悪の瞬間をピンポイントで示すことができない点にある。
 しかし、それをつくる過程で、何が危機対応の上で盲点なのか、どこに死角があるのか、を浮かび上がらせることはできる。それこそが「最悪のシナリオ」作成の眼目であると言ってもよい。
「最悪のシナリオ」という想像力によって、「最悪」を予防するのである。
 盲点と死角は、信念や思考や組織や機構に地雷のように埋め込まれた数々の「症候群」である。
 例えば――
・同質性(と閉鎖性)を根拠に、日本が「安全・安心」大国であるかのように思いこみ、それを自画自賛する「安全・安心大国症候群」。
・リスクを冷静に評価し、それを受け入れることを回避し、ひいてはタブー視する。そして、丸腰で臨むことが安全の証しという催眠術をかける「絶対安全神話症候群」。
・相手のことには口出ししないことで“分際”を守り、秩序を保とうとし、利害相関関係者(ステークホルダー)としての参画を意識的に排除する「部分最適解症候群」。
・明確な優先順位を設定することを忌避し、なかでも“損切り”の決断がなかなかできない「トリアージ忌避症候群」。
・本部・本店は指図するだけ、ロジも不十分、ただただ現場にしわをよせる「ガダルカナル症候群」。
・国際社会とともに標準やルールを作り上げていこうという意思と能力を欠き、内輪の都合による進化に任せる「ガラパゴス症候群」。
 九つの「最悪のシナリオ」があぶり出した日本の国家的危機と危機対応の姿は、戦後の「国の形」が国家的危機に取り組むにはきわめて“不具合”にできており、また、私たちの社会があまりにも無防備であるという厳然たる事実である。
 日本の国家的危機を考える場合、「首都直下地震」や「パンデミック」や「サイバーテロ」のような急迫性の危機だけが危機なのではない。「国債暴落」と「人口衰弱」の二つは、日本という国の体中に悪性細胞が次々と転移する時限爆弾のような存在である。
 日本全体を丸ごと蝕む致死的なリスクという意味ではこの二つがもっとも恐ろしい危機となるかもしれない。
 ただ、この二つの国家的危機は“懐妊期間”が長い。
 それらを克服する時間的余裕はまだある。
 問題は、政治である。
 この二つの「最悪のシナリオ」を起こさせないための処方箋の国民的合意をつくらなければならない。
 これは政治の仕事である。それも待ったなしの仕事である。

 (ふなばし・よういち 財団法人 日本再建イニシアティブ理事長)

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