書評・エッセイ

2013年5月号掲載

なぜそこまでして走るのか

――近藤史恵『キアズマ』

大矢博子

対象書籍名:『キアズマ』
対象著者:近藤史恵
対象書籍ISBN:978-4-10-131264-4

 数学なんて大嫌いだったのに、小川洋子『博士の愛した数式』には心が震えた。美術の素養なんてゼロなのに、原田マハ『楽園のカンヴァス』には魂を奪われた。力のある小説は、そのモチーフに興味や知識のない読者をも取り込む。そして読み手の世界を広げる。深める。
『サクリファイス』に始まる近藤史恵の自転車小説もまた、そんな力を持つ小説の代表格だ。
 日本ではあまり馴染みのない自転車ロードレースというスポーツを取り上げ、過去三作はミステリ的な趣向やライバル、成長といったテーマとも絡めながら、競技そのものが持つ魅力を十全に伝えた傑作群である。私の周囲にも『サクリファイス』を読んでロードレースの魅力と奥深さに感動し、それまで名前しか知らなかったツール・ド・フランスを、わざわざCSに加入して観戦したという人が複数いる。
 そのシリーズの最新刊である。期待するなという方がムリだ。
 ところが読み始めて驚いた。これまではプロチームが舞台だったのに対し、今回の主人公、正樹は大学生だ。しかも自転車競技は未経験なのに、たまたま自転車部員にケガをさせてしまった代償として入部することになる。つまりは素人がイチからロードレースを始める話なのである。
 自転車競技について何の知識も持たない大学生が、初めて乗ったロードレーサーの軽さとスピードに驚き、ペダルに足を固定することに戸惑い、レーサーパンツの下には何も穿かないことにうろたえる。自転車に興味を持った者なら誰もが通る道だが、通り過ぎれば忘れてしまう道でもある。経験者にとっては、ひとつひとつが新鮮だったあの頃がビビッドに甦ってくる。と同時に、これはロードレースに馴染みのない読者にとってはうってつけの入門書だ。読者はおそらく、正樹と同じことに驚き、戸惑い、うろたえ、正樹がそうであったように、徐々にロードレースの虜になっていくだろう。
『サクリファイス』『エデン』『サヴァイヴ』は、プロレベル、世界レベルならではの厳しさを描きながら、初心者の読者でも自然に競技のルールとその醍醐味がわかるように描写されていた。そこがすごいところだったのだが、この『キアズマ』は読者が主人公に寄り添いながら競技を楽しむことができるようになっているのである。
 だが「初心者向け」だと侮ってはいけない。むしろそこには、主人公がアマチュアだからこそ描ける葛藤がある。
 正樹は以前、柔道をやっていた。柔道から離れた理由は中学時代の同級生・豊にある。豊は部活中に大けがを負い、今も重い障碍を抱えて生活しているのだ。そしてロードレースでも、正樹は何度かひやりとする場面に遭遇する。
 スポーツは、時として大けがを招く。ロードレースのような競技は特に、自分だけでなく、自分のせいで他人にケガをさせる――最悪、死なせてしまうというリスクがある。
 ちょっと小説から離れるが、二〇一一年、ツール・ド・フランスと並ぶ世界的ロードレースのジロ・デ・イタリアの第三ステージ、ひとりの選手がダウンヒルの最中に落車、頭部を強打して亡くなるという悲しい事故があった。実績も人望もある選手だった。世界中の自転車ファンが言葉をなくし、ツイッターは悲鳴と祈りで溢れ、翌日のレースは順位をつけない追悼ランになった。
 それでも彼らは走る。なぜそこまでして走るのか。自分が彼らの家族だったら、それでも走る彼らをどう思うだろう。いや、何より彼ら自身は怖くはないのだろうか。
 本書の最大のポイントはそこだ。多かれ少なかれプロなら自分の中で咀嚼しているであろうその問題を、アマチュアの大学生が、しかも成り行きで競技を始めたに過ぎない若者がどう考え、どう葛藤し、どう結論を出すのか。それを描くために本書の主人公はアマチュアでなくてはならなかった。
 どんな世界にもリスクはある。肉体的にしろ精神的にしろ他者を傷つけるかもしれない、そういうことは多々ある。それでも自分の選んだ道を進めるか。自分に引きつけて考えずにはいられない作品だ。
 タイトルの「キアズマ」は生物学用語だが、もともとはギリシャ語で交叉を意味する。夢とリスク、他人と自分、過去と未来。さまざまな交叉がここにある。そして本書もまた、エキサイティングなスポーツ小説と峻烈な人間ドラマの交叉に他ならない。自信を持ってお勧めする。

 (おおや・ひろこ 書評家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ