書評・エッセイ

2013年5月号掲載

最も難攻不落の密室

――月原渉『月光蝶 NCIS特別捜査官』

千街晶之

対象書籍名:『月光蝶 NCIS特別捜査官』
対象著者:月原渉
対象書籍ISBN:978-4-10-333871-0

 捕虜収容所と全寮制女子校で四十一年の時を超えて惨劇が繰り返される『太陽が死んだ夜』(第二十回鮎川哲也賞受賞作)、列車内の連続殺人を扱った『世界が終わる灯』……と、月原渉が今まで発表した二つの長篇は、いずれもニュージーランドを舞台にした本格ミステリだった。一転して、第三長篇である最新作『月光蝶 NCIS特別捜査官』は日本を舞台に選んでいる。
 ……いや、今の紹介は実は半分しか正しくない。物語の舞台のうち半分は、日本の国土にありながら日本ではない場所なのだから。神奈川県横須賀市の総面積の二・三パーセントを占める横須賀海軍施設。在日米海軍の中枢施設であり、軍人と軍属、その家族一万四千人が暮らす街。日米両国の通貨と両国の法が混在する稀有な地。
 物語は、基地内と基地外の二つのパートが並行した状態で進行する。基地内のパートは、海軍施設の治安維持を預かるNCIS(米海軍犯罪捜査局)の捜査官であるケンの視点で描かれる。基地内の運動場で、壁に磔にされた海軍広報担当の女性中尉の惨殺死体が発見され、ケンは相棒のボビーとともに現場に急行した。ふたりは上司から、日本側に事件を知らせることなく早急に犯人を捕縛するよう命じられる。
 一方、基地外のパートの視点人物は、横須賀市役所基地対策課特別室に勤務するサオリである。彼女と相棒の豊成(とよなり)は、神奈川県警の刑事から奇妙な目撃談を聞かされる。前夜、ある女性が殺人の現場を目撃したが、警官を連れて現場に戻ってみると犯人も死体も消えており、血痕だけが残っていたというのだ。警察は犯人が米軍関係者ではないかと考えているが、正面から問い合わせても米軍が素直に情報を明かすとは思えない。地元住民である対策課なら米軍も邪険には出来ないだろう……というのが警察の思惑なのだ。
 こうして、基地の内と外でそれぞれ捜査が始まる。やがてケンは、被害者が基地から外出していた事実を知る。だが、被害者を含む事件関係者で、基地のゲートを出入りした人物はいない。完全な密室状態である基地から、被害者はどのようにして外出し、死体となって戻ってきたのか?
『太陽が死んだ夜』といい『世界が終わる灯』といい、著者の今までの作品には必ず密室殺人が描かれていた。しかし今回は、厳重なセキュリティで護られた米軍基地そのものを密室に見立てるという、前代未聞の発想が繰り広げられているのだ。軍人も一般人も、米国人も日本人も許可なしにはゲートを通れず、通ったならば必ず記録が残るこの難攻不落の密室で、犯人はいかにして不可能を可能に変えてみせたのか。
 内外両パートの主人公は、いずれも通常のミステリで捜査にあたるような警察官ではない。そもそも、これは普通の警察官の手におえる事件ではないのだ。建前上、日本政府は横須賀海軍施設を日本の領土であると唱えているものの、現実にはそうではない。米側は住民との摩擦を恐れて過度の秘密主義に走るし、日本側は米軍の恩恵を受けつつも心情的には複雑なものを抱えている。両国政府や国民それぞれの思惑、そして国際情勢にまで制限を受ける困難な捜査に、それでも主人公たちは挑まざるを得ないのである。
 二人の主人公のうちどちらが先に真相に到達するのか、それとも他の人物が先を越すのか……という興味も盛り上げながら、事件は大団円へと突入する。そこで初めて、この事件が基地の内と外を舞台にしていた理由が明かされるのだ。物語の構図自体に秘められた綿密な計算とラストの皮肉な決着には、殆どの読者が仰天するだろう。
 旧作の不可能犯罪路線を継承しつつ、更に壮大な構想、更に綿密なロジック、そして更に説得力のある真相を提示し得た本書が、現時点における著者の最高傑作であることは間違いない。

 (せんがい・あきゆき 文芸評論家)

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