書評・エッセイ

2013年5月号掲載

トクヴィルを受け継ぐ新たな古典

渡辺靖『アメリカン・コミュニティ 国家と個人が交差する場所』

原武史

対象書籍名:『アメリカン・コミュニティ 国家と個人が交差する場所』
対象著者:渡辺靖
対象書籍ISBN:978-4-10-603725-2

 アリストテレスにせよモンテスキューにせよ、政治思想史に名を残す大家は、さまざまな地域や国々を旅するなかから、アテナイやフランスの政治のあり方について思索を深めていった。その衣鉢を継いだのが、一八三一年に渡米し、九カ月あまりをかけて当時の二十四州の主要地域をほぼ踏破したフランス人のアレクシ・ド・トクヴィルであった。長旅の成果は、大著『アメリカのデモクラシー』にまとめられている。
 トクヴィルは、アメリカのデモクラシーが一つでなく、地域による差異があることを強調している。同じ東海岸でも、マサチューセッツとニューヨークとペンシルベニアでは、住民の自治活動に違いがあることを具体的に指摘しているのだ。こうした指摘は、「アメリカは○○である」という単純な物言いを免れさせている。
 本書は、『アメリカのデモクラシー』と同様の方法を、二十一世紀に日本人が実践した新たな古典として読むことができる。政治思想史の世界では、日本でもこれまで数多くのトクヴィルに関する研究がなされてきた。しかし自ら飛行機やレンタカーを使ってアメリカを縦横に旅行し、地域によって異なるコミュニティに身を置きながら研究を進めた学者はいなかった。もちろん著者は文化人類学者であるから、こうしたフィールドワークは当然なのかもしれないが、あまりにも書斎中心で、テキスト解釈に偏りすぎた政治思想史学に対する批判としても十分に読める。
 本書で取り上げられた九つのコミュニティはどれも非常に興味深い。ゲーテッド・コミュニティやメガチャーチなどについてはすでに他の評者が言及しているので、ここではニュー・アーバニズムの影響を受けたフロリダ州のセレブレーションにつき一言しておきたい。
 ニュー・アーバニズムでは、自動車に代わって鉄道などの公共交通が奨励されるが、セレブレーションにそうした手段はない。私自身が二〇一〇年に訪れたオレゴン州ポートランドのオレンコのように、ライトレールの駅前に住宅地が整備された町は、アメリカではまだ一部にすぎない。アメリカにおける自動車の浸透は、大都市圏を中心に鉄道が網の目のように発達してきた日本と比較すると、いっそうはっきりする。
 セレブレーションに近い日本の住宅地を強いてあげるとすれば、東急田園都市線沿線に広がる多摩田園都市だろうか。鉄道が敷かれる一方、自動車の保有を前提とした街づくりが民間資本により計画的に進められ、中産階級が多く住み、反共保守の地盤となってきた点が似ている。だが、こうした住宅地はきわめて珍しい。
 本書を読めば、彼我の違いの大きさを改めて考えずにはいられなくなる。トクヴィルがアメリカを旅行しながら、絶えず同時代のフランスとの違いを考えていたように。

(はら・たけし 明治学院大学教授・政治思想史)

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