書評
2013年5月号掲載
「はみだした駅」を愛でる視線
――杉崎行恭『百駅停車 股裂き駅にも停まります』
対象書籍名:『百駅停車 股裂き駅にも停まります』
対象著者:杉崎行恭
対象書籍ISBN:978-4-10-334011-9
鉄道で旅をしていると、なんじゃこりゃ、という駅に出会うことがあります。北九州にある鹿児島本線折尾駅もそうでした。日本初の立体交差駅に相応しい、ピンク色の立派な木造駅舎が有名でしたが、私になんじゃこりゃと言わせたのは、その不便さです。1番線から5番線までは駅の中にありますが(当たり前です)、6・7番線は、改札を出て駅前広場を越えた先にあるのです。初めて降りた時、笑いました。上越線の土合駅(下り線は改札まで462段の階段を登らなくてはなりません)も不便駅として名高いですが、あちらは自然を克服したぞ!という力強さがあるのに対して、折尾駅は来るものを拒まず受け入れているうちに、気が付いたらこんなことになってました、というトホホな風情がありました。
その不便さが災いして、建て替えられることになりました。6・7番線を移動させて便利な駅にするそうです。それに合わせて、駅舎も今風のものに変わります。
私は通りがかりの部外者ですから、とやかく言うことはできません。便利さは鉄道とは切り離せないものですし、無くなっていくものを何でもかんでも惜しもうとも思いません。
ただ、これでいいのかな、という気持ちになることも確かです。好きな駅舎があまりに簡単に取り壊されたということもありますが、それ以上に、この駅の持つはみ出しちゃった感じ(文字通り6・7番線がはみ出していますが)が消えてしまうということへの寂しさがあるのです。長い年月を経るうち、人によってなされた改良、要請、思惑、時代の流行、そんなものを飲み込むうち、ちぐはぐになってしまった駅の姿を、現代に生きる私達の目に奇異に映るからといって、消し去ってしまっていいのでしょうか。
だってこんな駅、日本のどこにもないんですから。かっこ悪いけど、かわいい。何なら高座で言いふらしたいくらいです(誰も聞かないと思いますが)。
そんな駅が普通に存在していることの豊かさに、もうちょっと目を向けてみても良いのではないでしょうか。
こんな思いを見事に形にしてくれたのが『百駅停車』です。写真家の杉崎行恭さんが、独特の視点で選んだ駅のフォトエッセイです。
この本に折尾駅は掲載されていませんが、駅選びの基準はやはり、はみだしたもの、だと思います。鉄道は規格重視ですから意図してはみ出すことはできません。それでもはみ出してしまうもの。それこそが杉崎さんの言う「立地や鉄道の都合によって結果的にそうなってしまった停車場」の「個性」であり、「妙に心に残る“駅の姿”」なのではないでしょうか。
それにしても、取り上げられた駅の幅広さと言ったらありません。東西の雄である東京駅、大阪駅に始まって、進駐軍が造った異様な神町駅、何度も通っているのに記憶にない御門台駅、そういえばあれ屋根だわ、という七百駅、さらには山の上で奔放に振舞うケーブルカーの駅たち。駅前像のコーナーには、武田信玄や大野伴睦に混じって、武豊駅の高橋熙(さとし)君之像が説明とともに載っていて、これは誰なんだろうという長年の疑問が解けました。
また、駅のタイプを言い表した造語の的確さ。「ホームが扇状になっていて、線路が股が裂けるように広がっていく駅」を「股裂き駅」、「島式ホームの上に駅舎が乗っていて、改札もホーム上で済ませる」「ワンプレートランチのような駅」を「ホーム上完結駅」と名付けています。今まで「股裂き駅」を三角駅、「ホーム上完結駅」をせまい駅と呼んでいた自分の表現力の無さに絶望しました。
この本を読んで、まだ間に合うぞ、と胸を撫で下ろしています。おかげでますます深みにはまりそうです。こんな駅がある豊かな日本へ、『百駅停車』を持って旅に出ようと思います。
(ここんてい・こまじ 落語家)