書評
2013年5月号掲載
サーガの巨匠が戻ってきた
――ジェフリー・アーチャー『時のみぞ知る クリフトン年代記 第1部』上・下(新潮文庫)
対象書籍名:『時のみぞ知る クリフトン年代記 第1部』上・下(新潮文庫)
対象著者:ジェフリー・アーチャー著/戸田裕之訳
対象書籍ISBN:978-4-10-216133-3/978-4-10-216134-0
ジェフリー・アーチャーといえばコン・ゲームの名作『百万ドルをとり返せ!』といったミステリ系の作品で有名だが、異なる境遇の主人公二人の人生が交錯する『ケインとアベル』に代表されるような長編小説、著者がいうところのサーガでもよく知られている。運命に翻弄されながらも自分の人生を切り開いていく人々を登場させ、同じ出来事を複数の視点から繰り返し描いて立体感を出していく手法はお手のもの。ここ最近はノンフィクションノベルを発表していた彼だが、このたび久々にサーガ作品〈クリフトン年代記〉を発表。本国ではたちまちベストセラーとなり、一部と二部を合わせて百二十万以上の読者を獲得しているという。その第一部『時のみぞ知る』(原題 :ONLY TIME WILL TELL)の邦訳がいよいよ刊行される。訳者の戸田裕之氏のあとがきによると、〈本書のアイデアは『ケインとアベル』出版三十周年を記念する作品を書こうと考えている時に生まれた〉のだとか……って、もう三十年も経つのか。一九四〇年生まれのアーチャーは現在七十代。三部作の予定だったこの年代記も筆がのって五部作になるかもという噂もあり、まったく創作意欲が衰えていない様子であるところが頼もしい。
一九一九年から始まり百年に及ぶ壮大な物語となる予定の本作品、第一部の主要人物はハリー・クリフトンという少年。イギリスの港町、ブリストルに生まれた彼は、港湾労働者だった父を幼い頃に亡くし、祖父母と母、亡父と仕事の同僚でもあった伯父とともに暮らしている。日々学校をさぼっては港をうろつき、読み書きさえろくにできない男の子だったハリーだが、とある才能を見出され、さらに周囲の応援を得て勉学に励んだ結果、奨学生として上の学校に進み、寄宿舎で暮らすことに。しかし食事作法すら身に着けていなかったために周囲から冷ややかな目を向けられ、上級生からはいじめられてしまう。それでも二人のよき友を得ることができた。一人はずば抜けた頭脳の持ち主のディーキンズ、もう一人はハリーの亡父や伯父の雇用先であるバリントン海運の御曹司、ジャイルズ・バリントン。実は労働者階級のクリフトン家と実業家一族のバリントン家の間には、伏せられた不穏な過去がある。そう、本書は両家の長年に渡る確執を追っていく家族史でもあるのだ。
簡潔な語り口、場面展開のはやさで読者の興味を引きつけるテクニックはさすがというしかなく、ページをめくりながら何度もこれぞアーチャーの真骨頂、と思った。もう、笑っちゃうくらい〈運命に翻弄される話〉に欠かせない要素が詰め込まれているのである。読みながら何度もうなずいた。そうそう、こういう小説の主人公は、理不尽な嫌がらせをうけなくちゃいけないし、金銭問題で苦しむのは当然だし、親友との友情には障害があってしかるべきであり、さらにいえば異性に心奪われることがあるとするならば、もちろんそれは許されぬ恋でなくちゃいかんのだ、と。不幸要素が浮上するたびになぜか嬉しくなってしまうのは、著者のことだからきっと見事にひっくり返してくれるに違いない、と信用しているからでもある。
視点人物を変えながら同じ時期の出来事を辿り、少しずつ時間を進めていく手法も効果的。ハリーの章はビルドゥングスロマンとして楽しめるし、彼の母親、メイジーの章は息子の学費のために奮闘する様子がまるでお仕事サクセスストーリーのような読み心地。ジャイルズの父でありバリントン海運の社長であるヒューゴーの章では、ハリーが知る由もない両家の間の秘密が明らかになる。ハリーの行く末を不穏に思うのは、そうした事実だけでなく、第一部の時代が第二次世界大戦直前であることから、この先の社会的な混乱も予想できるからだ。物語世界に入り込んで気持ちよくハラハラしながら一気に読み進めていったところ、下巻の最終ページの最後のとんでもない一言にひっくり返りそうになった。さすがストーリーテリングの巨匠、こんな爆弾を用意しているとは。第一部はまだまだ序章に過ぎなかったのだ。この先どこまで話を広げていくのか、ここからが本当の著者の腕の見せ所となるのだろう。アーチャーの真骨頂だなんて思うのははやすぎたようだ。第二部は今年の九月末、第三部は来年二月末に発売予定だというから、待ち遠しい。
(たきい・あさよ ライター)