書評
2013年6月号掲載
「四つの顔」のある物語
――大崎梢『ふたつめの庭』
対象書籍名:『ふたつめの庭』
対象著者:大崎梢
対象書籍ISBN:978-4-10-120181-8
『ふたつめの庭』には、四つの顔がある。
本書は、かえで保育園に勤務する若い保育士の小川美南(みなみ)を主人公に、園児や保護者とのあれこれを描いた連作形式の物語だ。全部で七話収録されており、一応各編は独立してはいるものの連続性が強く、ひとつの長編と言っていい。
第一話「絵本の時間」は、おともだちが読んでいた絵本を突然取り上げてしまった女の子の話で、それが何の絵本だったのか、というのが事件を解決する鍵になる。第二話「あの日の場所へ」は保育園の様子を窺う謎の男子高校生の話で、こちらもタイトルを聞けば多くの人が「ああ、懐かしい!」と感じるであろう有名な絵本が登場する。つまり、〈本と書店のミステリ〉をお家芸にしている大崎梢らしい、本の知識と本への愛情に満ちたミステリだ。読んでいて実に楽しく、さすがの安定感。そこに親子の関係、家族の関係、そして保育士の仕事といったテーマをからめてくる。
なるほど、今回は保育園で絵本をヒントに謎を解く連作集なのね――と、思った。これがひとつめの顔。
しかし第三話「海辺のひよこ」から次第に趣が変わってくる。離婚して息子をひとりで育てている父親と美南の関係がクローズアップされてきたのだ。驚いた。これはラブストーリーじゃないか! これがふたつめの顔だ。
もちろん大崎梢がこれまで恋愛を描かなかったわけではない。しかし、ここまではっきりと、相手のちょっとした言動に一喜一憂したり、登場したライバルに動揺したりという「誰しもが体験する恋心」を正面から書いたものはなかったのではないか。その描写が、またいい。終盤なので詳しくは書けないが、美南がある一歩を踏み出した場面では、羽が生えたかのように浮き立つ彼女の気持ちがダイレクトに伝わってきて、こちらも思わずそわそわにこにこしてしまった。
しかし、肝心なのはここからだ。そんな状況の美南がたまたま担任する園児の姿を見かける。いるはずのない場所をひとりで歩く子ども。その瞬間、「恋する美南」が「保育士の小川先生」にスパッと切り替わる。
本書のみっつめの顔は、保育士としてのお仕事小説だ。こんなことにまで気を使うのか、そんなところにまで気を回すのかと驚かされることしきりである。踏み込んでいい領分、いけない領分の線引きにもいちいち唸らされた。
そして最後のひとつは――。
子どもを育てるというのは、たいへんな仕事だ。親の都合を押し付けることも、その気はなくとも子どもを混乱させ、振り回してしまうこともある。親にも、女、男、社会人としての顔があり、プライオリティを間違うこともあるだろう。相手は言葉も経験も足りない子どもだ。こちらの思いが通じているのか不安になることもある。
ある親がこんなことを言う。
「よかれと思ったことは、相手に通じるでしょうか」
「よかれと思っての『よかれ』がわからなくなる」
親だって、大人だって迷うのだ。迷ってばかりだ。
でも迷ってもいいんだよとこの物語は言ってくれるのである。間違っても失敗しても、「あなたのことが大好きだよ」という基本的な、そして最も大事なことをしっかり持っていれば、ちゃんと子どもには通じるのだと、正しい努力はいつか必ず報われるのだと、背中を押してくれる。
親は子どもを幸せにするためにいるのではなく、子どもと一緒に幸せになるためにいるのだと、すとんと心に落ちた。
絵本ミステリであり、恋愛小説であり、お仕事小説である本書の、最後の顔。それは、大人と子どもは互いに学び合い、一緒に育っていくのだという、親と子と先生の三位一体の成長物語に他ならない。
優しくて温かで、同時に鋼(はがね)のような芯を持ち、力強い。『ふたつめの庭』はそんな物語だ。
(おおや・ひろこ 書評家)