書評
2013年6月号掲載
『愛に乱暴』刊行記念特集
泣いてくれて、よかった
――吉田修一『愛に乱暴』
対象書籍名:『愛に乱暴』
対象著者:吉田修一
対象書籍ISBN:978-4-10-128756-0/978-4-10-128757-7
吉田修一さんは長崎出身で、そのせいか映画になった『横道世之介』の主人公・世之介も長崎から大学へ入るために上京してくる。私も長崎(吉田さんは長崎市、私は島原市)なので、世之介には何だか親近感を持って大いに肩入れしてしまった。読者の身勝手と言えば身勝手なのだけれど、そういうのって人情みたいなもので仕方がない。地方出身者ならみんな覚えのあることじゃないかな、と思う。
私が生まれる前には亡くなっていたが、祖父は宮﨑 康平といってモノを書く人だったから、家には古い本が沢山あったし、母が熱心な本読みだしで、私も自然と本を手に取るようになった。ふらっと目についた書店に入り、文庫本を買い漁り、バッグにはいつも一冊は入れている。母は上京してくると、飛行機で読んだ本を私に貸してくれ(荷物になるから娘が本好きなのを幸いに置いて帰る、と言うべきかも)、おかげでいろんな作家を知ることができた。GWに私の様子を見に来て、村上春樹さんの『多崎つくる』を東京に置いていってくれたところだ。私はお風呂でゆっくり読書をする癖があって、繰り返し読む愛着のある本ほど湿って(たまには湯槽に落として)ぺこぺこになってしまうのが残念なのだが、これも本好きなら多くの人が経験することだろうと思う。
で、吉田さんの新しい長篇小説『愛に乱暴』だ。真ん中あたりで、「え、あああ!」とゲラの束を湯槽に落しそうになった。ネタばれになるので詳しく触れてはいけないだろうが、吉田さんにうまいこと騙されていたのだ。吃驚。愕然。衝撃。作者が読者にバンッとボールを激しく投げつけて逃げ、読者はあたふた驚いて満足する、みたいなタイプのミステリー小説があって、そういうのも好きだけれども、『愛に乱暴』はそこではまだ終わらない。大きな〈騙し〉が作者によって明かされた後、小説の後半は人間の魂の奥へと入っていく。これは読むのをやめられない。食いしんぼう丸わかりの比喩で恥ずかしいのだが、おいしいラーメンを食べている途中にラー油とか酢とかを入れて、ひと皿なのに味が変わって、深まって、二度愉しい、お得、みたいな感覚。
これも本好きならありがちのことか、私は好きな本の登場人物には会ってみたくなる。世之介に会いたいし、他の作家の方の作品だと、『神様のボート』の母娘や『死神の精度』の死神など、彼らにぜひ会いたいと思いながら読んできた。『愛に乱暴』の主人公の初瀬桃子さんにも会ってみたくなったけど、このひとは裏表もあって、なかなか手ごわそうな感じの女性。実際、小説を読む限りでは友達が少なそうでもある。
もっとも最初の方から、私は桃子に味方して読んでいった。吉田さんが巧みに桃子包囲網を張り巡らせているので、突飛な行動を取ったり意味の分からない自信を持ったりする彼女を、それでも応援せざるをえなくなるのだ。私は結婚も不倫も妊娠もしたことがないけれど、彼女の孤独がひりひりと伝わってくる。夫の真守は他の若い女性に走り、優しい舅は病に倒れ、姑はあくまで真守の味方しかせず、以前勤めていた職場に行くとたまらなく嫌なことを聞かされ、しかもどうやら真守の不倫相手は身ごもったらしい。だんだん桃子は追い詰められていき、彼女に感情移入して読んでいる私たちはどんどん胸苦しくなっていく。近所の奥さんの噂話を同情半分野次馬気分半分で聞いている感じだったのが、後半ではもう桃子の肩を抱いて話を聞いてあげている気分になってきて、最後の方で気の強い彼女がついに泣き始めた時には、ああ泣いてくれてよかった、と心底思った。そして、読者も一緒に、潜水で長く泳いでいたプールからやっと浮かび上がって、大きな、気持のいい深呼吸をする感じのラストがやってくる。屈折し逃避していた桃子に変化が訪れて、光り輝いてくる。吉田さん、まったく女性の心理を追いかけていくのが上手いなあ。真に迫っていて、女性作家の方が書いたと言われても何の不思議もない。
もうひとつ。冒頭思わせぶりに登場してから、しばらく出てこない李青年。あれ、彼は忘れられたのかなと思う頃、この人物が桃子の人生にさっと絡んでくる。この扱いの見事さ! 彼の言葉には桃子も、私たちも洗い流される。今まで読んできた中で最強の言葉のひとつ。
『愛に乱暴』というタイトルや、冒頭から現われる不倫あるいは夫婦関係の危機といった題材から、もっとドロドロした激情系の内容を想像していたのだけれど、これはとても美しい、主人公も読者も浄化される小説だった。きっと、母に貸してあげたら、大喜びするだろう。
(みやざき・かれん 女優)