書評・エッセイ

2013年6月号掲載

名もなき勇者に光をあてて

――中村計『歓声から遠く離れて 悲運のアスリートたち』(新潮文庫)

湯浅次郎

対象書籍名:『歓声から遠く離れて 悲運のアスリートたち』(新潮文庫)
対象著者:中村計
対象書籍ISBN:978-4-10-133243-7

「この人に任せて、大丈夫だろうか?」
 茫として、オーラがない。中村計さんに初めて会った時の、率直な印象である。
 私が編集長を務める会員制の月刊情報誌『選択』で、スポーツの連載筆者を探していた。2009年のことだ。「それなら良いライターがいる」と新潮社の編集者に紹介されたのが縁の始まりである。当時、中村さんは36歳。連載筆者としては、小誌史上、最年少だった。
 書くものは、地味だがコクがある。高校野球が専門で、『甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実』(新潮文庫)が世に知られた代表作だ。この本の読みどころは「松井」ではない。あの衝撃的な試合に関わった、その他の高校生たちの心の模様、彼らの苦悶が生々しく描かれているところだ。無名球児を描く時、中村さんの筆は光る。その点で言うと、『佐賀北の夏―甲子園史上最大の逆転劇』(同)の方が、らしさが出ている作品だろうか。県立高校野球部の雑兵、「アリの集団」がエリート校を打ち破る奇跡。それが単なるまぐれではなく「必然」であったことを、ねちっこい取材で証明していく力作である。
 どこにでもいそうな高校生を、いとおしそうに書き綴る。野辺のたんぽぽのたくましさと美しさを改めて教えてくれるような作風が、中村さんの魅力だ。
 この人に高校野球以外の分野を書いてもらおう。有名選手の栄光より、勝利の女神に弄ばれた者の数奇な運命。スポーツ史に燦然と輝く記録より、その陰に埋もれた知られざるエピソード――。中村さんの真価が引き出せる連載の構想を、2人して練った。
『歓声から遠く離れて―悲運のアスリートたち』の元となった雑誌連載「不運の名選手たち」は、2010年1月号からスタートし、今も続く。毎号の記事は、2700字程度と短い。文庫版では、5人のアスリートに絞り、連載では窮屈で描けなかった部分を、のびのびと大幅加筆している。
 雑誌では、次のようなタイトルをつけた。
 人生を狂わせた初マラソン初優勝。
 名人が陥った「パット恐怖症」。
 跳び超せない日本記録の「壁」。
 金メダル候補が陥った「泳法違反」。
 「魔の山」に憑かれたクライマー。
 マラソンの小鴨由水や、プロゴルファーの佐藤信人の名に覚えがある人は少なくないだろう。だが、三段跳びの杉林孝法や競泳の高橋繁浩となると、その筋の人でなければ顔が浮かばなくて当然だ。失礼ながら、書籍の一章で主人公として描かれることは、後にも先にもこれっきりかもしれない。だからこそ、読む価値がある。この人たちの人生行路は、知って損はない。
 最終章の栗秋正寿も、日本では無名に近い。厳冬期のアラスカ三山に、たった一人で挑む登山家。そこは風速100メートルを超す、狂った疾風が支配する「死の領域」だ。植村直己も山田昇も、主峰マッキンリーで果てた。日本のマスコミは、ヒマラヤ8000メートル峰ばかり持てはやす。しかし世界の登山界では、アラスカの冬季単独の方が断然評価が高い。
 冬の三山で登頂を果たすのは、「虫のいい話」と本人は言う。好天が続く奇跡を待つしかないのだ。孤独な登山家は、「低気圧の墓場」と呼ばれる魔の山で、ただひたすら待つ。冬が来るたびに、悲運が当たり前の山で、生きて待ち続ける。頂上に立てば勝者、立てねば敗者――、ではない。そこに挑んで、死なずに帰る彼は、勝利や成功の次元を超えた勇者なのだと思い知らされる。
 スポットライトを浴びて、煌々と照らし出される英雄たちとは違う。悲運のアスリートは、夏の蛍のようにおぼろな光を自力で放つ。それぞれの挑戦の舞台で。その灯は、競技生活を終えた後も続く人生で、確かな光跡を描いている。
 こうした儚くも美しい光の粒たちは、世のマスコミの眼中に全く入らないようだ。稼ぎたいライターたちは、分かりやすいヒーロー、ヒロインしか扱わない。イージーなメディアに毒された人には、この味わい深きスポーツアンソロジーは見向きもされないかもしれない。初版は2万部と聞く。売れ残るようなら、中村さんのことを「悲運のライター」と呼ぶことにしよう。(文中一部敬称略)

 (ゆあさ・じろう 月刊誌「選択」編集長)

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