書評

2013年7月号掲載

『宰領 隠蔽捜査5』刊行記念特集

《常識》と《事件》の中で

――今野敏『宰領 隠蔽捜査5』

西上心太

対象書籍名:『宰領 隠蔽捜査5』
対象著者:今野敏
対象書籍ISBN:978-4-10-132160-8

 なんとなく取っつきにくい人だなあと思っていても、胸襟を開いてみれば少しもそんなことはなく、親しくつき合うようになったという経験は誰でもお持ちだろう。もっとも逆のことも多いけれど。
 小説のキャラクターにも同じことがいえる。今野敏『隠蔽捜査』で登場した竜崎伸也警視長もそういう人物だった。彼の場合は取っつきにくいというよりも、嫌な奴というのが第一印象だった。なにしろ筋金入りのエリート主義者で、東大以外は大学ではないというのだ。実際に息子の邦彦が有名私立大学に合格しても、浪人を勧めるくらいなのであるから。それというのも各省庁とも東大と京大以外の大学は認めていないからだという。他の大学卒では国家公務員I種試験に合格しても、人気省庁からは相手にされず、入省したとしても官僚としての出世は頭打ちになる。それが現実である以上、東大を目指すべきだ……。それが高級官僚でもある竜崎の現状認識なのである。
 しかし竜崎にはその先がある。竜崎にとってエリートとして出世することは目的ではなく手段なのだ。国や組織をよりよくするためには、出世することで得られる権力や権利が必要であるという考えが根底にあるのだ。Noblesse Obligeという言葉がある。金持ちや身分の高い者は、そうでない人々を助けなければならないということを意味する。竜崎は身をもってこの言葉を実行しようと努めており、一命を擲っても国家の治安を守ることが自分の使命であると公言してもいるのだ。
『隠蔽捜査』で竜崎は、警察庁長官に直接仕える長官官房の総務課長という重職にあった。世間を騒がせた連続殺人事件捜査の途中に、警察に都合の悪い事実を隠蔽しようと、上層部が現場に圧力をかけた。それに対して竜崎は真っ向から反対し、上層部の思惑をひっくり返してしまう。ところが同じ時期に、息子の邦彦が法に反する行いをしていたことが判明する。竜崎はもみ消すこともできたが、息子を自首させる。こうして事件は解決し、警察組織の体面は守られたが、竜崎は上層部への反抗と息子の不祥事によって大森警察署の署長へと左遷されてしまうのだ。
 物語を読み進めた読者は、誰が相手だろうと原理原則を貫く胆力を持った人物として竜崎を認識し、すっかり彼の虜になってしまったのである。さらに警察の中の高級官僚というキャラクターを、これほど立体的かつ魅力的に描いた作家はこれまで一人としていなかった。この作品が発表されるや、大きな話題を呼んだのも当然といっていい。
 このような経緯で、ただの一署長になった竜崎が初めて現場の責任者として事件にあたるのが『果断―隠蔽捜査2―』である。管内で起きた立てこもり事件において陣頭指揮に立った竜崎は、強行突入を命じる。人質は救出されたが犯人は射殺。ところが犯人が持っていた拳銃は空だったことが分かり、マスコミや人権派のグループが騒ぎ出す。警察上層部は竜崎をスケープゴートにして事態を収拾しようとする。
 若手のキャリアならいざ知らず、ベテランの部類に入るキャリアが署長に来たのであるから、大森署の幹部たちは浮き足立つ。ところが大事件を通して、竜崎の合理性や果断な判断力を目の当たりにした彼らはすっかり認識をあらため、新署長のために一丸となって新たな事実をつかみ取るのだ。一方で竜崎も現場と交わったことや再び襲った家庭のピンチを通して、価値観の幅を広げ人間的な成長を遂げたのである。
『疑心―隠蔽捜査3―』では、さらに竜崎の人間味が露わにされる。大森署に派遣された警視庁の美貌女性キャリアに異性としての魅力を感じてしまい、大いに動揺するのである。そして竜崎の幼なじみであり、良き理解者である警視庁刑事部長伊丹俊太郎の視点から描かれるスピンオフ作品集『初陣―隠蔽捜査3.5―』、外務官僚のあいつぐ変死事件でまたも警察組織が大揺れとなる『転迷―隠蔽捜査4―』を経て、待望の新作が登場した。
 元キャリア警察官だった秘書から、衆議院議員牛丸真造が国元から羽田空港に到着後、行方が分らなくなったという連絡が、伊丹の元にあった。牛丸は以前にも姿を消したことがあり、警察に依頼した後にひょっこりと姿を現わし恥をかいたことがあるという。そんな事情もあるので、伊丹は竜崎に対し形だけでも動いてくれと依頼したのだ。ところが竜崎は最悪のことを考え、マスコミの目を避けながら万全の態勢を準備する。その矢先に牛丸が乗っていた車と運転手の死体が発見された。そして警察に誘拐犯から電話がかかってきたのだ。こうして国会議員の気まぐれと思われた一件が、殺人と誘拐という大事件に変貌していく。やがて誘拐犯は神奈川県内から電話をかけていたことが判明。竜崎は横須賀署に設けられた前線本部に副本部長として詰めるよう要請される。一方、息子の邦彦は三度目の東大受験に挑んでいたが……。
 警視庁と神奈川県警が仲が悪いというのは《常識》である。その渦中に竜崎が放り込まれるのだ。功名争い、県警上層部との軋轢。効率的な捜査を阻害する要因となる、竜崎がもっとも嫌う事態が出来する。竜崎の意識が浸透した大森署を離れ、アウェーという立場で、竜崎はどのように難題をさばいていくのか。竜崎の宰領としての立場が問われる本書一番の読みどころである。竜崎が解決の矢面に立つ大事件と、彼の家庭で起きるアクシデント。公と私の二つの難題が同時進行していくのがこのシリーズの黄金パターンだ。息子の人生を決めかねない受験。そして人質の命がかかった事件。
 魅力的な主人公とまた出会えた幸せを噛みしめながら、二つの《事件》の顛末を楽しんで欲しい。

(にしがみ・しんた 書評家)

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