インタビュー

2013年7月号掲載

『なごり歌』刊行記念インタビュー

団地には、空がある

朱川湊人

朱川湊人

対象書籍名:『なごり歌』
対象著者:朱川湊人
対象書籍ISBN:978-4-10-133772-2

 ――新潮文庫のベストセラー『かたみ歌』は、下町の「アカシア商店街」が舞台でした。

朱川 僕は大阪生まれですが、五歳の時に東京に移ってきました。そこで住むことになったアパートが、三河島の商店街に面していたんです。大阪でも、天満の商店街が近かったので、アーケードで遊んでいました。

 ――商店街が遊び場ですか。

朱川 さすがに野球をするとかじゃないですよ(笑)。でも走り回ったり、定休日のお店の前で遊んだりはできる。アーケードがあることが条件ですが、雨の日でも遊べるのが強みです。三河島にはアーケードがなかったので、三ノ輪の商店街まで遠征したりもしました。下町の商店街はごちゃごちゃして迷路のようだったけど、それだけで一つのパッケージ化されたコミュニティで、とても魅力がありました。

 ――新刊の『なごり歌』は巨大な団地が舞台で、第一話は、小三の裕樹君が下町から団地に引越す場面から始まります。

朱川 僕自身、小三の時に足立区の団地に引越したんです。駅前には街路樹が並んでいて、文化の香りがしました。駅から団地は遠いのですが(笑)。それまでの下町とは一変して、建物は規則的に並んでいるし、公園も病院も商店も全部ある。学校も図書館もグラウンドもある。団地の部屋の中もそうですが、全てがシステマティックで効率的で近代的でした。

 ――時代としては、一九七〇年代が背景になっています。

朱川 裕樹君が引越してきたのが七三年で、僕と全く同じです。あの頃は、実家を出たらアパート、それから団地というのが理想的な流れだったんです。団地の抽選に当たれば勝ったも同然、と言う人もいました。

 ――団地は未来や希望の象徴だったのですね。

朱川 当時の団地は、共同体の頂点、完成形だったかもしれません。文化的で効率がよくて、その一方では、隣り同士でお醤油の貸し借りなんかも残っていたんです。僕も色気づいた兄貴に命じられて、お隣りにアイロンを借りに行ったりしました。自分と同じ号棟にきれいな女の子がいたりすると、意味なく誇らしく思ったりして。

 ――『なごり歌』の七つの物語はそれぞれ独立していますが、登場人物はそれこそ号棟が同じだったり相互に接点があったり、団地ならではの共同体感覚が伝わってきます。

朱川 僕の団地歴は通算二十四年余りになりましたが、その間いろいろな人がいました。自室で仕立て屋を営んでいる人も、団地に実際にいたんです。

 ――小説では、その仕立て屋さんが実は、という話で……。

朱川 そのあたりはもちろん僕の創作ですが、「ゆうらり飛行機」に出てくる飛行機おじさんも、実在の人物です。

 ――スピードを競うのではなく、ゆっくり長い時間飛ぶ模型飛行機を作っているおじさんですね。

朱川 実際には、そういう滞空時間の長い飛行機は屋内で飛ばすそうで、現実のおじさんが飛ばしていたのは普通の模型飛行機でした。小説中の飛行機おじさんの人生も、僕が勝手に想像したものです。ただ、僕の友人の子供が、飛行機おじさんに弟子入りして模型飛行機作りを学び、長じて自動車会社のエンジニアになったという本当の話もあります。

 ――『かたみ歌』の「アカシアの雨がやむとき」に続いて、今回も当時の流行歌や登場人物の愛唱歌が印象的です。

朱川 あの頃は歌と時代が密接に結びついていました。皆が知っている歌があって、誰もが口ずさんでいた。だからヒット曲を聴くと、その当時、自分が何をしていたか、記憶がすぐに蘇ってきます。たとえば僕は「およげ!たいやきくん」を聴けば、瞬間的に中学一年生の時の風景を思い出します。

 ――BOXYのボールペンでスーパーカー消しゴムを弾いて遊ぶ、といったディテールも懐かしいですね。

朱川 あれは実はフライング気味で、あの遊びが大ブームになるのは翌年です。『サーキットの狼』は既に人気だったし、スーパーカー消しも出始めてはいたので、まあいいかなと。

 ――今回もまたノスタルジックで切なくて、少し怖くて泣かせます。

朱川 時代背景は七〇年代ですが、現代を生きている人々に伝えたいことを書いたつもりです。特に3・11以降の……。少しずつゆっくりでいい、毎日をしっかり生きていこうという気持です。今は寂しい山道かもしれないけれど、前に進んでいきましょう。そして時には、空を見上げることを思い出してほしい。前を向いて、上を見て歩いていきたい。団地の空は、意外に広く開けているんです。

 (しゅかわ・みなと 作家)

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