書評

2013年7月号掲載

槍の勘兵衛、これぞ“もののふ”

――中路啓太『恥も外聞もなく売名す』

池上冬樹

対象書籍名:『恥も外聞もなく売名す』
対象著者:中路啓太
対象書籍ISBN:978-4-10-323022-9

 今日的な視点の歴史時代小説である。時代の荒波をくぐりぬけていく武士たちの姿がビジネスの戦場で日々戦っているサラリーマンたちの姿にも見えてくるから不思議だ。というと、張りぼての時代小説の印象を与えるが、中路啓太の小説は今回も劇的で力強く臨場感にとんでいてなかなか面白い。
 物語は、関ヶ原の戦いの後、増田兵部(ましたひょうぶ)が徳川家康の命をうけて、大和郡山城の明け渡しを求めにいく場面から始まる。
 その城はもともと、豊臣政権の五奉行に名を連ねた増田長盛、すなわち兵部の父の城であったが、長盛は関ヶ原の戦いで東西両軍の間で右往左往しているうちに敗者となり、罪を謝すために頭を丸め、高野山にのぼっていた。
 兵部の心中は複雑だった。徳川の家臣として忠誠を誓っていても、徳川家中には「罪人の子め」という冷たい眼差しがあったからだ。しかしそれも城の明け渡しを完了しさえすればはねつけられるはずだった。だが、その城では城兵が抵抗を続けていた。渡辺勘兵衛という男が主君長盛の別命がなければ城は引き渡せないというのだ……。
 主人公は「槍の勘兵衛」として名を轟かせたこの渡辺勘兵衛である。織田信長から豊臣、徳川へと時代が変わる中で、阿閉(あつじ)貞征、羽柴秀勝、中村一氏、増田長盛、藤堂高虎に仕えた男として有名で、池波正太郎の『戦国幻想曲』でも描かれてある。池波作品同様、本書も歯切れのいい痛快娯楽作だが、槍の勘兵衛を主人公にしていても、当然のことながら、アプローチも、時代的な解釈も異なる。
 池波作品は、勘兵衛の妻や子供をだしてきて人生全体を描くけれど、中路啓太は、妻子をほとんど出さずに、槍働きで出頭した渡り奉公人としての武士(もののふ)像を徹底的に捉えている。近江の同郷でもあった藤堂高虎に二万石の破格の待遇で仕えることになってからの、藤堂高虎との対立に焦点をあて、大坂冬の陣と夏の陣の戦いをつぶさに追うのだ。
 池波作品でもそうだが、結果的に勝利したとはいえ、勘兵衛が自軍に大きな損害を与えたのは、高虎の命令を無視して独断専行に走ったからというのが通説。しかし中路啓太は、高虎の無能ぶりをさらけだし、勘兵衛を蹴落とそうとする内部の陣営の動きを詳細に書き込んで戦いの裏側に肉薄する。
 この辺の展開にわくわくする。爽快なほどに胸おどる戦いがあるからだが、その一方で、もののふとして生きたくても生きられぬ定めにも直面し、体を熱くしながら勘兵衛に感情移入していく。定めとは主君高虎である。この臆病で、心配性で、虚栄心の塊は、手柄をとられることを嫌って戦場で指揮をとろうとするが、戦争の知識も経験もなく、何よりも度胸がない。あるのは部下たちを罵倒する能力のみ。当然のことながら、無能な主君のもとでは軋轢・反目・対立が生まれ、それがそのまま戦場へと持ち込まれることになる。
 もうここまで書けばお判りだろう。冒頭で“今日的な視点”といったのは、組織の中で生きる者たちの使命に繋がるからである。主君(社長や上司)が無能ならついていくのか、どうすべきなのかを追求し、組織の中で己が信条をいかに守り抜くのかも、波瀾にとむ物語でたっぷりと描かれている。
 書名は、「名をあげることに命を張るのがもののふと申すもの。それを恥と申されるのならば、この勘兵衛、恥も外聞もかえりみず、おのれの名を売りまするわい」からとられている。これは、冒頭の城明け渡しのさいに意固地を続けるのは“おのれの名を売るために過ぎぬ”と兵部に嘲笑されたときの返答である。浅薄にみられがちな売名行為には本来、大いなる責任と使命と自尊心があることを教えてくれる。
 そう、まさに勘兵衛こそ、これぞ“もののふ”なのである。渡り奉公人に徹し、恥知らずと非難されても、“おのれを尊ぶ道”を選んだ男なのである。その意地と矜持が実によく胸に迫り読ませる。何とも力強い作品だ。

 (いけがみ・ふゆき 文芸評論家)

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