書評

2013年7月号掲載

連れ戻される「あの頃」。十八歳、衝撃の処女作

――雛倉さりえ『ジェリー・フィッシュ』

藤田香織

対象書籍名:『ジェリー・フィッシュ』
対象著者:雛倉さりえ
対象書籍ISBN:978-4-10-334211-3

「十六歳」から「十七歳」にかけての年頃が、危ういものであることなんて、三十年前から知っていた。
 現在四十五歳の私がその年齢だった頃も、世界は〈灰色で、薄暗くて、倒錯的で、いびつで、腐っている〉と心の奥底で感じていた。まだ何者でもなくて、自分が何者になろうとしているのかもわからず、立っている世界は狭く、息苦しく、笑いながら毎日喘いでいたあの頃。
 知っているつもりだった。理解しているはずだった。なのにどうだろう。本書を読み終えた今、こじ開けられた記憶から、どくどく血が流れ出している。時間薬で癒えたと思っていた傷が、深い場所に沈めたつもりでいた感情が、ぐずぐずと疼く。この痛みを忘れていたことに、いや、今まで忘れられていたということに茫然となっている。
 昨年「女による女のためのR‐18文学賞」の最終選考に残った表題作を含む本書は、五編からなる連作短編集である。いずれも、語り手となるのは高校一年生から二年生、十六歳から十七歳へと向かう五人だ。早々に映画化も決定し、今夏には公開が予定されているという。
 映画の原作となった冒頭の表題作では、宮下夕紀と篠原叶子の「恋」が描かれる。高校に入学して間もなく、学年旅行で訪れた水族館のクラゲが泳ぐ水槽の前で、名前も知らなかった叶子に声をかけられ、唇を重ねた瞬間から始まった恋。クラスに馴染もうとせず、浮いた存在になっていた夕紀にとって、叶子が特別な存在になるまで時間はかからなかった。他の子とは違う、大事な「わたしの世界の一部」。何度も交わした甘やかなキス。なのに叶子は、同じクラスの男子とも交際を始めてしまう。〈夕ちゃんのこと、大好きだよ〉と微笑みながら。
 続く第二話は夕紀と別れ、平井裕輔と付き合い始めた叶子の内側へ深く分け入っていく。初めてのセックス。初めてのピアス。大切にされている、愛されていると感じながらも、叶子は自分のからだを支配する快楽を求めてしまう。「暴力」のなかに見つけてしまったいびつな「官能」。正しい、すこやかな性交をしたいのに、あふれだす欲望を止められない。〈殴ってほしい。おもいきり、蹴ってほしい。首を絞めてほしい。叩いてほしい。貶めてほしい〉。もっと、もっと――。
 春から夏、そして秋へと季節は移り、三話では叶子と仲の良い同級生、岩倉眞子へと視点も移る。付き合っていた相手に「やっぱり話が合わない」という理由で突然別れを告げられ、悲しみを抱いていた眞子は、あるきっかけで読書部に入部する。周囲の友人は誰も本を読まない。叶子も、自分を振った元恋人もそうだった。眞子は「話が通じる」喜びを実感し、部長の朝日に心惹かれていく。が、勇気を出した告白に思いがけない返事をされ、新たな屈託を抱えてしまう。
 物語はその後、四話で叶子の交際相手だった裕輔の、そして最終話では二年生に進級し、新しく夕紀の同級生になった佐藤栞の視点で綴られていく。
 表題作の執筆時、作者は登場人物たちと同じ十六歳だったという。作家に年齢など関係ないとはいえ、他四編も高校時代に書いたものだと知ると、本書の放つ匂いは、より生々しさを増す。たった十六、七年しか生きていない登場人物たちが囚われている過去。足掻き続けている場所。焦がれて、恐れた「きれいなもの」。純粋で、鋭利で、残酷な感情。すべてが「ほんとうの大人」になってからでは書き得なかっただろうと思わせる。
〈叶子のことを考えると必ず、あの日のことを思い出す。爛れたような丹色のひかりが射し染めた夕暮れ。下腹を血まみれにして呆然としていた彼女。白い頬に一筋、赤い痕が引かれていた。毒々しいほど鮮やかなあの光景は、ぼくのまなうらに灼きついたまま剥がれようとしない。本能的な嫌悪感を覚えたまま、ぼくはすこしずつ引きずり込まれていった。底なしの肉の沼に〉。こんなにも危うく、切実な文章で綴られた物語は、本当に久しぶりだ。
 連れ戻された「あの頃」から動けなくなる。とても危険な小説だ。けれど、それ以上に、危うい季節を「今」生きる、五人への愛しさが募る。十八歳の新人作家・雛倉さりえが放つ熱に、心から灼かれてください。

 (ふじた・かをり 書評家)

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