書評
2013年7月号掲載
冒険小説のような経済学史
――シルヴィア・ナサー『大いなる探求』(上・下)
対象書籍名:『大いなる探求』(上・下)
対象著者:シルヴィア・ナサー著/徳川家広訳
対象書籍ISBN:978-4-10-541502-0/978-4-10-541503-7
今年は○○学史をテーマとした読み物の当たり年になるかもしれない。三月に量子力学史の『量子革命』が出版されたのに続き、近代経済学史の本書『大いなる探求』が発売になった。この二冊は長く手元に置いておく本になるだろう。自分にとって青年期だった20世紀を理解し、円熟するはずの21世紀を生きるために欠かすことのできない物理学と経済学について、丁寧に解説してくれながらも、冒険小説のごとく心躍らせて読み進めることのできる本を他に知らないからだ。
まさしく20世紀は物理学と経済学の世紀だった。量子力学は原子力や半導体を生み出したし、カーナビは相対性理論の応用事例である。コンピュータや通信の基礎である現代物理学なくして現代人の生活は成立しない。いっぽう、同じく20世紀になってから発展した近代経済学が、どのように人類に貢献したかは理解しにくい。そもそも経済学とはどんな学問なのかが判りにくいのだ。
本書の序文で、18世紀後半から19世紀にかけて、産業革命や貿易のおかげでイギリスは空前の繁栄を享受したが、それでもなお当時の人たちにとって、運命を甘受するということは、人生観として当たり前だったと著者はいう。ところが19世紀後半になると状況は激変する。下層民が飢えることはなくなった。すなわち豊かさが一般化しはじめたのだ。資本主義が効果を発揮しはじめたのである。その資本主義を調べ、分析するための道具こそが経済学だと著者は定義するのだ。なるほど近代経済学も現代物理学も19世紀におけるヨーロッパ経済の余剰から発達した学問であり、さらなる欧米の発展を促したことがよく分かる。
本書に主役級で登場する経済学者はマルクス、シュンペーター、ケインズ、ハイエク、フィッシャー、アマルティア・センなどだ。当然のことながらマルクスについては手厳しい。
ブルジョワ階級に生まれた放蕩息子であり浪費家だったマルクスは生涯に何件もの相続財産を食いつぶしながらも、妻の妊娠中に妻付きのメイドも妊娠させ、ロンドンに住んでいるにもかかわらず英語の上達に無頓着だった。エンゲルスから資金援助を受けていただけでなく、マルクスの経済理論の大まかなところは、エンゲルスが提供していたのだという。
そして、ケインズをして『資本論』について「単に科学的に不正確であるだけでなく、来るべき社会に対して関心もなければ、これを理解する助けとなりもしない、古めかしい経済学教科書」と一刀両断にさせるのだ。
マルクスは19世紀後半の経済学者だったが、20世紀初頭には「創造的破壊」すなわち「イノベーション」でいまも人気のあるシュンペーターが活躍し始める。一九〇九年、26歳になったシュンペーターはオーストリア= ハンガリー帝国の辺境、チェルノヴィッツ大学に教授として赴任した。田舎町に埋没していることへ不満を持ち、浮気と同僚たちに対する侮辱などで鬱憤を晴らしていたらしい。しかし著者は、この辺境暮らしこそがシュンペーターにとっての「灯台」になったというのだ。この地で過ごした二年間で、彼は24歳から26歳までの海外暮らしで吸収し、観察し、想像し、考えたこと全てを蒸溜し、そうして『経済発展の理論』を完成させたというのである。
ほぼ同時期、一九〇九年までの七年間、大学に就職できなかった20代のアインシュタインは、スイスの特許局で技術専門職の仕事に就いていた。『量子革命』によれば、このころを振り返ってアインシュタインは「多面的に考える」という業務上の必要は、「まぎれもない祝福だった」と述べている。本書でも、アインシュタインは、田舎暮らしの孤独さと単調さが、自分の「創造的な心」を刺激したと語っている。
じつは評者も大学卒業から三年間、北海道の小さな自動車部品会社で働いていたことがある。暇つぶしにパソコンをいじり、雑多な本を読んで鬱憤を晴らしていた。大企業に就職した友人に一生の差を付けられたと思っていた。しかしその後、趣味が嵩じてマイクロソフトに入って社長にまでのぼり詰め、雑多な読書は書評サイトHONZに繋がったのだ。そして、たどり着いた先に出会ったのが本書である。
(なるけ・まこと 書評家・HONZ代表)